『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

30年の歳月

2011年09月04日 | Weblog

今日は30年前に間違いなく、すれ違っていたであろう人に会った。
なんと偶然にも同じ名前の『雄二』。

30年前、正確には35年前に下町の三ノ輪橋と言うところで
『モンド』という、その当時は東京で有名だったライブハウスをやっていた。
そこに出入りしていた人と、ネットで偶然知り合って、
社長と呼ばれていたカリスマ親父、岩瀬さんやアンちゃんと呼ばれていた
山田氏、僕のお師匠さんだった松堂氏、同い年で何かと面倒を見てくれて
仕事の面でも尊敬していた池谷氏の話を聞いて、嬉しくなった。

僕は創世記のメンバーだけれど、立ち上げたメンバーより少し遅れて参加。
当時、7人が中心でやっていたISYミュージックハウスという音楽事務所が
まだ会社組織になる前に、ライブハウスの他に音響・照明の集団
『JOKER.STAGE.EFFECT』というのがあって、それは今でもちゃんと
存在しているようだ。

その当時は綾瀬にある汚いアパートの一室で、共同生活していて
稼いだ金は全部機材の購入につぎ込んでいたので給料はなし。
中古のトラックを購入して、空き地でペンキを塗ったり
木場の材木屋で米松の合板を買って来ては、
高価だったJBLのスピーカーボックスのコピーを、
アパートの横の公園で作ったり・・・・
なんだか、金が無いけれど楽しい毎日だった。

日本のロックの基点と言っても過言じゃないライブハウス。
結局僕は、22歳の時に独立してしまったんだけど、
湯島に事務所を構えて、有限会社となった後は
いい仕事に巡り合って、今でもちゃんと営業しているそうだ。
なんだかそういう話を聞くと、妙に昔が懐かしくなって
『あのまま、あそこで頑張っていたら・・・・』なんて、
ちょっと、不思議な感覚に陥ったり・・・・

で、もう一人の『雄二』さん。
所ジョージの事務所に居て、今は音楽業界から身を引いて
別の仕事をやっているんだけど、ギター弾きらしくて
今度、一緒にやってみようという話になった。

僕は相方とやる音楽が楽しくて、続けているんだけど
最近、練習不足の上に刺激が足りない。
そういう意味で、新しい血を入れてみるのもいいかなって・・・
元々、ギターのテクニックだったらD氏という
仲間内ではカリスマ的なギタリストも居るのだけれど、
なんだか後戻りするようでね・・・・

でもなんだか、やっぱり相方と2人でやってるような気がする。
むしろ『雄二』さんと知り合って、彼と一緒に何か違った
音楽活動が出来るんじゃないかって期待の方が大きいかな?

自分が歩んできた人生に、後悔は無いから後ろを向きたくないだけ。
30年前にすれ違っていただろう、もう一人の『雄二』さんが
僕にとって、どんな存在になってゆくのか?
そっちの方が興味あるかな?

コメント
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