昨日の「日本人を愛したニコライ、ロシア人の全てが悪人ではない!」という記事でロシアの画家、イリヤー・レーピンの油彩画をご紹介致しました。
しかし油彩画は見ていると疲れます。観賞するためにエネルギーが要るのです。
それに比較すると日本画は何の抵抗もなく心に自然に溶け込みます。心が寛ぐのです。そこで今日は吉田博の日本画をご紹介致します。
吉田 博は1876年(明治9年)生まれ、 1950年(昭和25年)に亡くなりました。画家で版画家でもありました。自然と写実そして詩情を重視した作風で、明治、大正、昭和にかけて風景画家の第一人者として活躍した人です。
1番目の写真は吉田博 「瀬戸内海集」の「帆船、夕」です。
2番目の写真は吉田博の「 瀬戸内海集 」の「光る海 」です。大正15年(1926)の作です。
3番目の写真は「瀬戸内海集」の「倉」です。1930年作です。
4番目の写真は「富士拾景 船津」です。 1928年(昭和3年)作です。
吉田博は旧久留米藩士の上田束秀之の次男として久留米市に生まれました。1888年、福岡県立修猷館に入学します。1891年、修猷館の教師の洋画家、吉田嘉三郎に画才を見込まれ吉田家の養子となります。
1893年、修猷館を卒業し、京都で洋画家田村宗立に師事します。上京して小山正太郎が主催する不同舎に入門し、後に明治美術会の会員となりました。
1899年、中川八郎と共に渡米、ボストン美術館で2人展を開催し成功します。その後渡欧して、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどを巡歴しパリ万博において、日本現代画家作品展示『高山流水』が褒状を受けました。
詳細は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%8D%9Akipedia にあります。
今日は吉田博の日本画をご紹介致しました。何の抵抗もなく心に自然に溶け込み心が寛ぐ絵です。
今日の記事と関連した2020年03月07日 掲載の「川瀬巴水の詩的な版画を見て静かに時を過ごす」というの記事もご覧下さい。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)