後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「キリシタンになって良かっこと(4)日本民族に誇りを感じるようになった」

2021年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム
梅雨明けが待たれる季節ですが皆様お元気のことと存じます。さて私は日本民族に誇りを持っています。誇りに思う理由は 努力による経済の高度成長ににあります。日本のGDPはアメリカ、中国に続いて世界3位でです。この小さい島国の経済力が世界の3位なのです。私はこの事を大変誇りに思っています。
しかし経済力だけではありません。日本人が優しく外国人と接し世界の平和を力強く守っているのです。平和を愛する民族なのです。私が日本民族に誇りを持つのは当然ではないでしょうか。
その上私が日本民族に誇りを感じるのはもう一つの理由があるのです。それは江戸幕府の禁教政策にもかかわらずキリスト教の信仰を守り続けた歴史です。それは日本人の宗教に対する誠実さの証です。これを私は誇りと感じています。

今日は江戸幕府によるキリスト教の禁教と隠れキリシタンにまつわる話を書いてみたいと思います。
キリスト教は1549年にフランシスコ・ザビエルによって日本へ伝えられました。
ご承知の通り豊臣秀吉が始めたキリシタンの禁教政策は徳川家康に引き継がれ、三代将軍の家光の時に徹底的に厳しく実行されるのです。その結果、キリシタンとして捕縛された信者が日本全国で多数処刑されたのです秀吉以来の処刑者は一説によると30万人に及ぶとも言われています。
信者を処刑しただけでなくあらゆる教会や集会所を破壊し尽くしたのです。
残ったのは隠れキリシタンの家の納戸(押し入れや戸棚)の奥に隠くした福音書の断片や祈祷書だけになったのです。信者だけが隠れて集まり、聖母像(マリア観音)の絵や彫像を持ちだし、農家の奥の部屋で一緒にミサを立てたのです。
この事実はキリスト教が背負って来たヨーロッパ文化が消し去られた状態を意味します。美しい異国的な教会も、聖歌も、伴奏の楽器も、絢爛豪華な法衣も全て無くなったのです。
福音書や祈祷書だけが残ったのです。もしキリスト教が日本人の心の中に根付いていなければ、これで終りになる筈でした。しかしキリストの教えが根付いていたのです。250年も代々と人々の心の中に信じられてきたのです。
そしてもう一つの伝承と共に。「神父様が必ず帰って来て教会を建ててくれる」という伝承です。
明治維新後にフランスから長崎へ来たプチジャン神父の所へ隠れキリシタンがやってきます。そして「神父様が帰ってきて教会堂を建ててくれると260年間信じてきました」と言いだしたのです。
あなたは日本人は凄い民族だとお思いになりませんか?
私はカトリックの信者です。本当はキリスト教のことはあまり深く理解していません。信仰も弱いと思っています。しかし何故カトリックか?と問われれば「隠れキリシタン」を尊敬しているからです。それだけの話ですが、皆様はどのようにお考えでしょうか?

それはそれとして江戸時代250年の隠れキリシタンの歴史が2018年に正式に世界遺産と認定されています。そして日本のカトリックにとって五島列島は巡礼地のようになっているのです。五島列島には隠れキリシタン達が沢山住んでいたのです。明治時代になって禁教が解けた以後に隠れキリシタン達が美しい教会をたくさん作ったのです。
数年前、私は家内とともにこれらの美しい教会を巡る旅に行ったのです。それは隠れキリシタン達を偲ぶ巡礼の旅でした。
ここで美しい五島列島の風景写真をお送りしようと思います。写真家の峰脇 英樹さんが撮った風景写真です。彼は五島列島の出身でカトリック信者です。風景写真は彼の「 五島アルバム 」(https://gotoproject.jp/photographer/photo-minewaki/ )から2枚お借りしてここにお送りいたします。
なお3番目と4番目と5番目の写真は私どもが五島列島へ行った時に撮った写真です。5番目の写真は五島列島のあちこちにあったキリシタン墓地の一つです。









私が日本民族に誇りを感じるのは一つの理由があるのです。それは江戸幕府の禁教政策にもかかわらずキリスト教の信仰を守り族けた歴史です。それは日本人の宗教に対する誠実さの証です。これを私は誇りと感じています。
それに関連して今日は江戸幕府によるキリスト教の禁教と隠れキリシタンにまつわる話を書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)