一昨日、「武蔵野の広々とした畑の風景を眺めに行きました」という記事を掲載しました。遠方の埼玉県まで行って広々とした畑と雑木林の写真を掲載しました。しかしよく考えてみると私の住んでいる小金井市にもあちこちに緑の美しい畑が残っているのです。しかし畑は洒落た家々に囲まれています。とても農業地帯とは見えません。
昨日気を変えてそんな近所の畑の写真を撮りに行きました。苦労して周囲の住宅が写真になるべく写らないようにしました。畑が美しいと思う私は間違っているでしょうか?それはそれとして昨日撮った写真をお送り致します。
1番目の写真は小金井市の北の郊外の農地の写真です。この玉川上水の傍の農地は例外的に広く、本格的に農業をして暮らしを立てている様子です。
2番目の写真はゴボウ畑でしょうか。その後ろはトーキビ畑になっています。青い網をかけた畑はトマト畑のようです。はるか右奥で1人の女性が農作業をしていました。キウリ、ナス、カボチャ、ダイコン、ホウレンソウ、いろいろな野菜を作っているようです。
3番目の写真は同じ農家の果樹園です。これは柿のようですが奥の方に子供のこぶし大の黄色なビワの実がたわわになっていました。いろいろな果樹が植えてあります。
4番目の写真は果樹園の下草を一人の農夫が草刈り機で刈っている光景です。果樹園も手数がかかるのです。
5番目の写真は我が家の東200m位の所にある畑です。農作業を終えた小父さんがニコニコしていたので話を聞きました。江戸時代から代々農家だったそうです。昔はもっと畑が多かったそうです。流石に作物がよく育った美しい畑ですねと私が言うと満足そうにしていました。向かいの保育園の子供達が毎年サツマイモ堀りを楽しんでいます。
6番目の写真は家から西100m位の所にある畑です。ここでも農作業をしていた小父さんと話をしました。ここも江戸時代から代々農家だったそうです。ここの特徴は畑で採れた野菜を売っていることです。ダイコン1本100円、ホーレンソウ1束100円などと書いて無人販売しています。畑で採ったばかりの野菜を食べると何故か幸福感につつまれます。
7番目の写真は家から北100m位の所にある畑です。この畑も本職の農家が作っているようですが人がいませんでした。
8番目の写真は家から北100m位の所にある庭木の栽培地の写真です。最近作られる家々は庭が無いので庭木は売れないのです。栽培地が荒れた様子なのです。こんな庭木の栽培地が近所に数か所ありますがどこも手入れが悪い様子です。困ったものです。
それはともかく畑の写真を撮っていると江戸時代の小金井村の風景が彷彿とします。
江戸時代の小金井村は幕府の直轄地で代官が支配していました。1654年に玉川上水が完成し、その後には小金井の台地が開墾されたのです。小金井分水が作られました。幕府の政策で盛んに開発が行われ急速に畑作農業が発達しました。出来た野菜や果物は江戸の町に送られていたのです。水はけが良過ぎて稲作は出来なかったのです。武蔵野新田82ヶ村の新田開発には名主の川崎平右衛門定孝が大きな功績を残しました。
尚またそのころ玉川上水の西岸に桜が植えられ江戸の人々の行楽の地となえいます。それが現在有名な小金井桜の名所になったのです。
江戸時代の小金井村の風景はここに示した写真の風景と同じようだったのでしょう。そんなことを考えながら昨日写真を撮ってきました。
皆様がお住まいの所の江戸時代の風景はどんな様子でしたでしょうか?
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
昨日気を変えてそんな近所の畑の写真を撮りに行きました。苦労して周囲の住宅が写真になるべく写らないようにしました。畑が美しいと思う私は間違っているでしょうか?それはそれとして昨日撮った写真をお送り致します。
1番目の写真は小金井市の北の郊外の農地の写真です。この玉川上水の傍の農地は例外的に広く、本格的に農業をして暮らしを立てている様子です。
2番目の写真はゴボウ畑でしょうか。その後ろはトーキビ畑になっています。青い網をかけた畑はトマト畑のようです。はるか右奥で1人の女性が農作業をしていました。キウリ、ナス、カボチャ、ダイコン、ホウレンソウ、いろいろな野菜を作っているようです。
3番目の写真は同じ農家の果樹園です。これは柿のようですが奥の方に子供のこぶし大の黄色なビワの実がたわわになっていました。いろいろな果樹が植えてあります。
4番目の写真は果樹園の下草を一人の農夫が草刈り機で刈っている光景です。果樹園も手数がかかるのです。
5番目の写真は我が家の東200m位の所にある畑です。農作業を終えた小父さんがニコニコしていたので話を聞きました。江戸時代から代々農家だったそうです。昔はもっと畑が多かったそうです。流石に作物がよく育った美しい畑ですねと私が言うと満足そうにしていました。向かいの保育園の子供達が毎年サツマイモ堀りを楽しんでいます。
6番目の写真は家から西100m位の所にある畑です。ここでも農作業をしていた小父さんと話をしました。ここも江戸時代から代々農家だったそうです。ここの特徴は畑で採れた野菜を売っていることです。ダイコン1本100円、ホーレンソウ1束100円などと書いて無人販売しています。畑で採ったばかりの野菜を食べると何故か幸福感につつまれます。
7番目の写真は家から北100m位の所にある畑です。この畑も本職の農家が作っているようですが人がいませんでした。
8番目の写真は家から北100m位の所にある庭木の栽培地の写真です。最近作られる家々は庭が無いので庭木は売れないのです。栽培地が荒れた様子なのです。こんな庭木の栽培地が近所に数か所ありますがどこも手入れが悪い様子です。困ったものです。
それはともかく畑の写真を撮っていると江戸時代の小金井村の風景が彷彿とします。
江戸時代の小金井村は幕府の直轄地で代官が支配していました。1654年に玉川上水が完成し、その後には小金井の台地が開墾されたのです。小金井分水が作られました。幕府の政策で盛んに開発が行われ急速に畑作農業が発達しました。出来た野菜や果物は江戸の町に送られていたのです。水はけが良過ぎて稲作は出来なかったのです。武蔵野新田82ヶ村の新田開発には名主の川崎平右衛門定孝が大きな功績を残しました。
尚またそのころ玉川上水の西岸に桜が植えられ江戸の人々の行楽の地となえいます。それが現在有名な小金井桜の名所になったのです。
江戸時代の小金井村の風景はここに示した写真の風景と同じようだったのでしょう。そんなことを考えながら昨日写真を撮ってきました。
皆様がお住まいの所の江戸時代の風景はどんな様子でしたでしょうか?
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)