後藤和弘のブログ

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中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本仏教を作った玄奘三蔵法師の遺骨が埼玉県に

2018年10月03日 | 日記・エッセイ・コラム
日本人の考え方の基底には仏教の無常(つねならず)の思想が流れています。それは「もののあわれ」ともなり、私たちの心の基調となっています。日本文化は大乗仏教の影響を深く受けているのです。
この大乗仏教の教えをはるばるインドへ旅をして持って帰って来たのが唐時代の玄奘三蔵法師でした。
現在、日本で読まれているお経のほとんど全ては彼がインドから持ち帰り、漢文に翻訳したものです。そして一部はインドのパーリ語の発音をそのまま漢字で表したものです。
ですから私は玄奘三蔵法師こそ日本文化の産みの親と信じています。
彼は602年に生まれ、664年に62歳で亡くなりました。629年に陸路でインドに向かい、巡礼や仏教の研究を行って、16年後の645年に経典657部や仏像などを持って帰還しました。
以後、翻訳作業をしながら、インドへの旅を地誌『大唐西域記』として著し、これが後に伝奇小説『西遊記』の基ともなったのです。それでは下に彼の旅の道程を示しましょう。

1番目の写真は玄奘三蔵法師の16年間にわたるインドへの旅の道筋を示す図です。この図面の出典は、http://todaibussei.or.jp/asahi_buddhism/12.html です。
インドへ入った玄奘は、ガンダーラやカシミールを経由し、ブッダゆかりの地を訪れた後に、有名なナーランダー僧院(現在のビハール州)へと赴いています。
当時のナーランダー僧院では、仏教以外にも様々な学問が行われており、数千人もの俊才たちが勉強していました。玄奘は、彼らのなかでも誉れの高い戒賢(シーラバドラ)について『瑜伽師地論』を中心に学び、この地で五年間、勉学に励んだのです。

さて何故、私は玄奘三蔵法師のことを親しみをこめて「彼」と書くのでしょうか?
それには私が彼の遺骨が埼玉県の慈恩寺にあることを知り、2009年の9月に訪ねて行ったことがあるからです。
先代の住職の大嶋見道師の奥さんから何故遺骨が埼玉県にあるか詳細に取材しました。
そうしたら遺骨が日本に渡ってきた経緯が分かりました。

かいつまんで経緯を書くと次のようになります。
玄奘三蔵法師の遺骨を発見したのが昭和17年でした。南京を占領していた関東軍の高森部隊でした。部隊長は金沢出身の高森隆介氏であったといいます。高森部隊長は日中両国の専門家に鑑定を依頼したのです。その結果、玄奘三蔵法師の頂骨であるとされたのです。
発見の翌年の昭和18年の2月に、関東軍は遺骨と副葬品一式を中国側の南京政府へ返したのです。
南京政府は日本の傀儡政府で、蒋介石の政府は重慶にありました。
南京政府は壮大な奉迎式典を開催し、昭和19年には南京市の玄武山に玄奘塔を建てます。この塔の建設発起人は南京政府の外務大臣の緒民誼と日本の駐支大使の重光葵がなっています。
そして完成した10月に盛大な式典が挙行され、その折に分骨され、南京政府の日中友好の証として日本仏教連合会へ贈呈されたのです。
東京の増上寺に安置された遺骨が埼玉県の慈恩寺へ移動した経緯は埼玉県の慈恩寺の先代の住職の大嶋見道師が熱心に働きかけて埼玉県に持って来たのです。
そして埼玉県の慈恩寺の近くに玄奘塔を作り、祀ったのです。

2番目の写真は埼玉県にある玄奘塔の門の写真です。慈恩寺の先代の住職の大嶋見道師が建てたものです。

3番目の写真は玄奘塔の脇にある玄奘三蔵法師の像です。 この写真の玄奘三蔵さまが背中にうず高く背負っている物がインドから持って来た経典の詰まった入れ物なのです。その入れ物の上に傘がさしてあります。自分の身より経典を大切にして、はるばるインドから運んできたのです。
現在、日本の多くのお寺にこの 玄奘さまの像があります。

4番目の写真は埼玉県にある玄奘塔の隣の畑の風景です。玄奘塔は慈恩寺から離れた場所にあり、周囲は畑に囲まれています。

5番目の写真は中国の西安にある大雅塔です。この中で玄奘三蔵法師が経典の漢文への翻訳作業を続けていたのです。私は1981年にこの大雅塔の最上階まで登りました。当時は文化大革命の後だったので大雅塔の土の階段が崩れていたことに心が痛みました。
現在は綺麗に修復され立ち入り禁止になっていると聞きました。

さて埼玉県の玄奘塔の基部に埋まっている遺骨は本物の玄奘三蔵法師の遺骨でしょうか?
第二次大戦中の日本の軍隊と南京政府、そして日本の駐支大使館が深く関係した経緯があったのです。とても信用するわけにはいきません。
しかし私は何故か感動しています。興奮しています。
唐の西安から遺骨の一部を南京へ持って来た演化大師とその弟子たち。そして埼玉の慈恩寺の大嶋見道住職と見順住職の父子などの玄奘三蔵法師への尊敬と信仰の美しさに私は感動を覚えます。
遺骨は偽物でしょう。
しかし遺骨と称するモノが日本へ渡って来て、埼玉県の慈恩寺に埋葬されたいきさつを調べて行くと人々の願いや祈りが私の胸を打つのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

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