この世で僧侶に戒名をつけてもらうと多くの場合、高額の料金が請求されます。
私の祖父は曹洞宗の住職でした。そして自分はカトリックの信者です。信者になってみると戒名の重要性が理解出来るのです。
そして何故それが高額な請求になるかも想像出来るのです。
始めに誤解を避ける為にはっきり言えば高額過ぎる戒名には私自身は強く反対します。
低額で戒名を付けたい方々には日本生前戒名推進会という組織が存在していることもをご紹介しておきます。この方法の問題点は後程書きます。
さて戒名とは何でしょうか?
それはお釈迦様の弟子としての名前です。丁度、カトリックの洗礼名と同じことです。洗礼名はイエスさまの弟子としての名前です。
お釈迦様に弟子になるのは死んで成仏したときがチャンスです。そこで住職がその檀家の死者にお釈迦様の弟子としてふさわしい名前をつけてあの世に送り出すのです。戒名が無ければお釈迦さまの弟子になれないし極楽浄土にも行けないのです。
例外は沢山ありますが、以上が一般的な考え方です。
この考えは洗礼名が無ければイエス様の弟子になれないし天国へも行けないというカトリックの考え方とよく似ています。
それでは戒名が何故高額になるか考えてみましょう。
(1)財政難のお寺が戒名料を高額にしてお寺の経営を維持したい。
日本全国には7万5千の寺院があるといいます。しかし過疎化で檀家数が激減し寺院の収入が減っています。お寺の財政難で住職の居ない寺院が増大しています。数年のうちには2万5千の寺院が消滅するという予測を言う人もいます。
地方のお寺の収入の主なものは檀家のお墓の管理料、葬式や法事の時の読経料、そして戒名料です。都会にあるお寺には他にも副収入が多いものですが地方のお寺は財政難です。そこでつい戒名料を高額にしたくなるのです。
(2)戒名を付けるのは住職の特権と思っています。
住職が戒名を付けてあの世に送り出さなければ死者は成仏出来ません。お釈迦様の弟子にもなれません。極楽浄土にも行けません。
そのように信じ切っている住職にとってはいくら高額の戒名料をとっても当然だと思えるのです。
ちなみにカトリックでは洗礼を受けるとき料金を一切要求されません。その人に相応しい洗礼名とイエス様の弟子になったお祝いの品を頂きます。小さな白衣・ベールや聖書を下さいます。
(3)住職は実社会での営業経験がありません。
会社で営業経験を積むと、どんな商品やサービスを提供したら幾らくらいの金額が請求出来るかということが骨身にしみて理解するのです。そして見積もり書、請求書、受領証は必ず出すのが鉄則です。住職は戒名に見積もり書を出さないのが普通です。
あの世でのサービスに対して1万円や2万円の要求はまあまあですが数十万円、数百万円は法外です。
さて住職が戒名を付ける必要がはたしてあるのでしょうか?無いと考えて宗派別の戒名をつけるサービスを提供している団体が幾つかありますが、日本生前戒名推進会はその一つの例です。この方法は家族葬をして宗教に関係の無い墓地の墓に葬る場合には問題がありません。しかし住職の常駐しているお寺の墓地にする場合は問題がある場合もあります。
そして表題の戒名の宗派別作り方は日本生前戒名推進会のHPに詳しく書いてありますのでご参照ください。
根本的には僧侶が戒名を付けるのは特権として認められるかとい問題です。
キリスト教でも洗礼を重要視しないプロテスタント宗派が多いものです。
お釈迦さまの弟子になるために本当に戒名は絶対必要なのでしょうか?
イエス様の弟子になるのに洗礼名は絶対必要なのでしょうか?
ひとそれぞれ考え方があります。個人個人が自由に判断すれば良いのです。
今日の挿絵代わりの写真は紅葉の頃に行った平林寺の風景です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
私の祖父は曹洞宗の住職でした。そして自分はカトリックの信者です。信者になってみると戒名の重要性が理解出来るのです。
そして何故それが高額な請求になるかも想像出来るのです。
始めに誤解を避ける為にはっきり言えば高額過ぎる戒名には私自身は強く反対します。
低額で戒名を付けたい方々には日本生前戒名推進会という組織が存在していることもをご紹介しておきます。この方法の問題点は後程書きます。
さて戒名とは何でしょうか?
それはお釈迦様の弟子としての名前です。丁度、カトリックの洗礼名と同じことです。洗礼名はイエスさまの弟子としての名前です。
お釈迦様に弟子になるのは死んで成仏したときがチャンスです。そこで住職がその檀家の死者にお釈迦様の弟子としてふさわしい名前をつけてあの世に送り出すのです。戒名が無ければお釈迦さまの弟子になれないし極楽浄土にも行けないのです。
例外は沢山ありますが、以上が一般的な考え方です。
この考えは洗礼名が無ければイエス様の弟子になれないし天国へも行けないというカトリックの考え方とよく似ています。
それでは戒名が何故高額になるか考えてみましょう。
(1)財政難のお寺が戒名料を高額にしてお寺の経営を維持したい。
日本全国には7万5千の寺院があるといいます。しかし過疎化で檀家数が激減し寺院の収入が減っています。お寺の財政難で住職の居ない寺院が増大しています。数年のうちには2万5千の寺院が消滅するという予測を言う人もいます。
地方のお寺の収入の主なものは檀家のお墓の管理料、葬式や法事の時の読経料、そして戒名料です。都会にあるお寺には他にも副収入が多いものですが地方のお寺は財政難です。そこでつい戒名料を高額にしたくなるのです。
(2)戒名を付けるのは住職の特権と思っています。
住職が戒名を付けてあの世に送り出さなければ死者は成仏出来ません。お釈迦様の弟子にもなれません。極楽浄土にも行けません。
そのように信じ切っている住職にとってはいくら高額の戒名料をとっても当然だと思えるのです。
ちなみにカトリックでは洗礼を受けるとき料金を一切要求されません。その人に相応しい洗礼名とイエス様の弟子になったお祝いの品を頂きます。小さな白衣・ベールや聖書を下さいます。
(3)住職は実社会での営業経験がありません。
会社で営業経験を積むと、どんな商品やサービスを提供したら幾らくらいの金額が請求出来るかということが骨身にしみて理解するのです。そして見積もり書、請求書、受領証は必ず出すのが鉄則です。住職は戒名に見積もり書を出さないのが普通です。
あの世でのサービスに対して1万円や2万円の要求はまあまあですが数十万円、数百万円は法外です。
さて住職が戒名を付ける必要がはたしてあるのでしょうか?無いと考えて宗派別の戒名をつけるサービスを提供している団体が幾つかありますが、日本生前戒名推進会はその一つの例です。この方法は家族葬をして宗教に関係の無い墓地の墓に葬る場合には問題がありません。しかし住職の常駐しているお寺の墓地にする場合は問題がある場合もあります。
そして表題の戒名の宗派別作り方は日本生前戒名推進会のHPに詳しく書いてありますのでご参照ください。
根本的には僧侶が戒名を付けるのは特権として認められるかとい問題です。
キリスト教でも洗礼を重要視しないプロテスタント宗派が多いものです。
お釈迦さまの弟子になるために本当に戒名は絶対必要なのでしょうか?
イエス様の弟子になるのに洗礼名は絶対必要なのでしょうか?
ひとそれぞれ考え方があります。個人個人が自由に判断すれば良いのです。
今日の挿絵代わりの写真は紅葉の頃に行った平林寺の風景です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)