後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「心を震わせる雪景色と雪女の恐ろしい物語」

2025年01月31日 | 日記・エッセイ・コラム
冬は寒いから嫌と言う人が多いと思います。しかしそんな冬でも美しいものがあります。それは心を震わせるように美し雪景色です。今日はまず雪景色の写真をお送り致します。
この3枚の写真はインターネットにある多数の雪景色の写真から特に心震わせるような3枚を選びました。
雪景色は美しいのですがその寒さは怖ろしいものです。私は東北地方に生まれ育ったので雪の夜の凍えるような寝床の冷めたさを知っています。吹雪の夜は雪片が家の中まで舞い込んできたものです。
そして怖い雪女の話をよく聞いていました。東北地方の話では必ず最後に雪女が男へ冷たい息を吹きかけて凍らせ、殺すのです。
雪女の伝承は日本各地にあります。村がが雪女に会ういきさつは地方、地方で違いますが、最後は息を吹きかけられ殺されます。
この写真は鳥取県境港市の水木しげるロードに設置されている「雪女」のブロンズ像です。
その例として以下に小泉八雲の「雪女」をご紹介したいと思います。『怪談』の中で雪女伝説です。

・・・この話は武蔵の国、西多摩郡調布村の百姓が私に語ってくれたものである。
武蔵の国のある村に、茂作と巳之吉という2人の樵が住んでいた。茂作はすでに老いていたが、巳之吉の方はまだ若く、見習いだった。

ある冬の日のこと、吹雪の中帰れなくなった二人は、近くの小屋で寒さをしのいで寝ることにする。その夜、顔に吹き付ける雪に巳之吉が目を覚ますと、恐ろしい目をした白ずくめ、長い黒髪の美女がいた。巳之吉の隣りに寝ていた茂作に女が白い息を吹きかけると、茂作は凍って死んでしまう。

女は巳之吉にも息を吹きかけようと巳之吉に覆いかぶさるが、しばらく巳之吉を見つめた後、笑みを浮かべてこう囁く。「お前もあの老人(=茂作)のように殺してやろうと思ったが、お前はまだ若く美しいから、助けてやることにした。だが、お前は今夜のことを誰にも言ってはいけない。誰かに言ったら命はないと思え」そう言い残すと、女は戸も閉めず、吹雪の中に去っていった。

それから数年後、巳之吉は「お雪」と名乗る、雪のように白くほっそりとした美女と出逢う。二人は恋に落ちて結婚し、二人の間には子供が十人も生まれた。しかし、不思議なことに、お雪は十人の子供の母親になっても全く老いる様子がなく、巳之吉と初めて出逢った時と同じように若く美しいままであった。

ある夜、子供達を寝かしつけたお雪に、巳之吉が言った。「こうしてお前を見ていると、十八歳の頃にあった不思議な出来事を思い出す。あの日、お前にそっくりな美しい女に出逢ったんだ。恐ろしい出来事だったが、あれは夢だったのか、それとも雪女だったのか……」

巳之吉がそう言うと、お雪は突然立ち上り、叫んだ。「お前が見た雪女はこの私だ。あの時のことを誰かに言ったら殺すと、私はお前に言った。だが、ここで寝ている子供達のことを思えば、どうしてお前を殺すことができようか。この上は、せめて子供達を立派に育てておくれ。この先、お前が子供達を悲しませるようなことがあれば、その時こそ私はお前を殺しに来るから……」

そう言い終えると、お雪の体はみるみる溶けて白い霧になり、煙出しから消えていった。それきり、お雪の姿を見た者は無かった。・・・・
(上記は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E5%A5%B3 より)

この話は多摩川の上流の現在の青梅市のそばにあった調布村に伝わる話です。
小泉八雲の描く「雪女」の原伝説については、東京・大久保の家に奉公していた東京府西多摩郡調布村(現在の青梅市南部多摩川沿い)出身の親子から聞いた話がもとになっていることがわかっています。

2002年には、秋川街道が多摩川をまたぐ青梅市千ヶ瀬町の「調布橋」のたもとに「雪おんな縁の地」の碑が立てられました。表側には碑文が刻まれ、裏側には「雪女」の和英両方の序文と小泉の肖像が刻まれた銘板が嵌め込まれています。

私は奥多摩へドライブに行く時この雪おんな縁の碑を何度も見ました。

今日はまず雪景色の写真をお送り致し、続いて小泉八雲の「雪女」をご紹介致しました。

 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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