後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

私は矛盾した心を持っている始末の悪い男です

2015年12月26日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、私の秘密の場所に行って独り淋しく散歩して来ました。
私は人々と交わり賑やかに暮らしたという欲望と、このように独りで静かに孤独を楽しみながら暮らしたいという欲望を持っています。孤高というものに憧れ、この誰もいない秘密の場所を何度も散歩しています。しかししばらくすると誰でも良いから無性に人に会いたくなるのです。
私は矛盾した心を持っている始末の悪い男なのだとつくづく思います。
さてその場所ですが、そこは数千坪はあるような荒涼とした土地です。端の方に枯れたススキが寒風に揺れているだけです。自宅から車で30分で行ける所です。
好きな場所なので四季折々何度も散歩に行きますが、人に会ったことが無いのです。ひとけの全く無い、あの世のような寂しい場所なのです。
その広い荒地の南を見ると関東ローム層の崖があり、その上のに冬枯れの雑木林の見える場所です。その風景写真を下に示します。





孤高を愛する一方で、他人と賑やかにまじわることも愛するのです。矛盾です。
私の矛盾はあらゆる問題でも同様です。
例えば中国や韓国と友好関係を進めるべきだと書きますが、彼らが嫌がらせを次々していることに怒髪天を突く思いもしています。
私はカトリックなのでキリスト教は戦争の原因にはなったことが無いと書きます。しかし過去の歴史をありていに言うと何度も戦争の原因になったと認めざるをえません。
私はどんな差別も絶対にしませんと書きながら毎日のように心の中では差別しています。
それでは私の書いていることは嘘なのでしょうか?
絶対に嘘ではありません。私の心の半分だけを書いているのです。
何方の半分を書くかは確かな方針に従って書いています。
どちらの半分がより建設的で、世の中を良い方向にするかという指針で選びます。
それを読んだ他人や外国人が不愉快な思いをしないように公平に書きます。
例えば西洋人は南と北のアメリカ大陸を武力侵略し、原住民を殺戮した極悪非道の人種ですとだけ書けば建設的な書き方ではありません。その文章を西洋人が読めば不愉快に感じます。感情的になって日本人の悪い点を攻撃します。
同じことを私は以下のように書きます。
西洋人は素晴らしい芸術を生み、近代科学でも人類にはかりしれない貢献をした。その素晴らしい人種が南北アメリカで原住民を殺戮した歴史的事実は尊敬出来ないことです。人間の善悪両面性に深い溜息が出るばかりです。
このように書けば西洋人が読んでもあまり不愉快に感じないかも知れません。そして良識ある一部の西洋人は反省し、償いをしようとするでしょう。
ですからこのような書き方が建設的な書き方になると思います。
建設的に書いていると偽善的と非難する人がいます。中学生の理想論と非難します。
しかし私は動じません。日本は自由で平等の国です。どのような書き方をしても人それぞれです。
それにしても「私は矛盾した心を持っている始末の悪い男」ということには変わりがありません。困ったものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

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