MR.コールマンの挑戦日記

セカンドライフを迎えて趣味のランニングや街歩き、スケッチ水彩画、地域活動などの日常のあれこれを綴っています。

谷根千坂道散歩

2017年01月31日 | まち歩き
新宿で開催中のふるさと福井の物産・観光展の後、都庁展望台から台東区の坂道の多い街、 『美しい日本の歴史的風土100選』に選ばれている谷中・根津・千駄木界隈をブラ散歩していました。
日暮里駅からスタートし、谷中霊園を一回りして夕焼けだんだん坂から谷中銀座、根津神社など巡りました。

日暮里駅南口を出て天王寺へ向かう途中の「紅葉坂」を上りますが、名前の由来になったと言われるモミジは見られませんね~

天王寺の参道だったといわれる谷中霊園の桜道を歩くと、谷中のランドマークだったと言われる江戸一の五重塔の跡が残されていました。

園内からは、東京スカイツリーの姿も見られました。


谷中霊園には、鳩山一郎氏や三木武吉、森繁久弥、長谷川一男、渋沢栄一、川上音二郎・・・など各界の著名人のお墓が並びその墓石も素晴らしいものばかりでした。
丁度、参道の傍にあった川上音二郎氏の墓石台座の上には、川上氏の銅像が立っていたそうですが、戦時中の金属供出で台座のみでしたね。


谷中霊園の最も著名な第15代将軍徳川慶喜公の墓所に寄ってみると、門には葵の御紋が付いた大きな素晴らしいものでした。

お墓は歴代将軍のものとは異なり皇族のお墓と似た円墳が4基立てられています。


谷中霊園から多くのお寺が集まる寺町を歩き観音寺まで来ると、土と瓦を交互に積み重ねて造った練り塀の「築地塀」が築かれています。
文化庁の有形文化財に指定されていますね。

道路を挟んだ向かい側の長安寺の壁は鬼瓦などを挟んだ対照的なアート塀でした。

観音寺の境内には、赤穂浪士の供養塔の宝篋印塔が建てられていました。


「初音の道」を進んだ先の「朝倉彫塑館」に立ち寄る予定でしたが休館となっており、ふと頭上を見上げると屋根上には朝倉氏の作品でしょうか、ロダンの考える人のような作品が訪れる人をチェックしているようでした(笑)


さらに日暮里駅北口へくると、駅から長い「御殿坂」があり、寛永寺輪王寺宮の隠御殿があったことから名付けられたそうです。

御殿坂を上がった先には「夕焼けだんだん坂」があり谷中銀座へと通じています。

夕焼け時には、夕焼けの景観が素晴らしいところから付いた名前のようですが、この日はお昼時でした・・・

だんだん坂を下って谷中銀座をぶらりと覗いてみると、小物屋や食べ物店で大変な混雑でしたが、懐かしい江戸の雰囲気を感じました。




銀座を往復して「七面坂」があり、坂の先に延命寺の七面堂があることから名付けられているようです。


防災広場の「初音の森」を経てその先には、「三崎坂(さんさき坂)」があり、駒込・田端・谷中の三つの高台があることから名付けられたそうです。
また、別名「首振り坂」とも呼ばれ、お寺が多いことから付近に住む僧侶が首を振り振り上り下りしたことから呼ばれているそうです。


三崎坂を横断してその先には、「赤字坂」があります。
付近に豪族の明石屋治右エ門の邸宅があり、明石から赤字に変わったようですが、かなり立派な長い坂でした。


その先にある「大名時計博物館」に寄ってみましたが、こちらも休館で草木の庭園には、ポツリと石佛が出迎えてくれました~


赤字坂を下って不忍通りから根津神社の裏の「根津裏門坂」を上り根津神社へ向かいました。



由緒ある根津神社に到着して一休みでした。【続く】
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