春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

早い旅発ち

2006-12-10 20:12:00 | 仲間との絆

会社時代の同僚が亡くなった連絡を受け、斎場でお線香を上げてきた。
東京の外れにある我が家から、中央線、横浜線、京浜急行で金沢八景まで乗り継ぎ、更にバスで斎場付近で降車、暗いトンネルを潜り、ようやく現地へ、2時間半の遠い道のりであった。
横浜横須賀道、朝比奈IC付近の横浜市の斎場であるが、人家から離れ、専用の隧道まで用意され人目を憚る山中に隠れる様な施設であった。
折からの冷たい雨の中、バス停から約800Mの真っ暗な夜道は不気味にさえ思えた。
そんな山中にコンクリート建ての斎場に写真の様な立派な祭壇が飾られ、厳粛な通夜が行われた。
故人とは川崎から豊田、有楽町と事業所の変転する中、20年以上も苦楽を共にした職場の仲間であったが、高齢化が進む、現代にあっては未だ早い67での逝去であった。
戦後の建設ラッシュに沸く国内産業を背景に民間や・事業用を始め、更に海外まで火力の制御装置のエンジニアリングを中心に携わり、会社の隆盛とも合わせ、忙しい時期を歩んできた。
その役割も定年と言う節目を迎えこれからの第二ラウンドをじっくり楽しむ過程での早世であった。
由緒ある、会津の秋月家の出で家系図もあるとも言われていたが、彼の同級生が新橋でバーを営み、誘われるまま良く通ったが、そのママさんの口から、その誉れ高き出と、生徒会長を勤めた話など同郷の誼で語られる話を聞かされた。
その天性の人柄か余りスマートでは無かったが、社交好きから在職30数年の歩みと共に広い人脈関係が生れ、こうして最後の別れを告げる日も会社関係から多くの参列者を迎えたものと思われる。
喫煙害悪節が盛んに叫ばれる昨今、どこ吹く風、ニコチン濃度の高いヘビイなタバコを最近迄嗜み続け、軽ニコチンの類はタバコに非ずと、男気を発揮していたが、そのヘビースモーカが医者に驚かされたのか、ある日突然、人が変わったように止めてしまった。この事が大変奇異に感じられるが、今考えるとこれも危険予知のメッセージだったかも知れない。
その頑健さに裏打ちされ、在職中は殆ど休んだ事は無かったように思えたが、その病に伏し、半年も経たずして近代医学を持っても、癌には勝てなかったようである。
何分にも好奇心旺盛が、エネルギーとなって一つの支えであったようだが、仕事を離れても尚そのエネルギーは絶やさず持ち続けているように思える。しかし、それを絶たれ悔しい想いをしながらの他界と想像する。

五日市で野趣豊かにBBQ

2006-11-01 22:26:00 | 仲間との絆

車で3、40分八王子の市街を通り抜け、五日市の秋川渓谷でオジさん達が集まり「芋煮会」を実施した。
会の主幹事元のH宅ご自慢の庭先で取れたの里芋をベースに馬鈴薯、人参、ごぼう、ネギ、椎茸、シメジ、豆腐、油揚げ、肉など10種余りの食材を途中で買い込み、現地へGO~。
河原で石を積み立て、即製の石釜で薪で火起こし、炭火に火を付ける。
大鍋には手際よく裁かれた食材が満載に詰まれ、少々の味噌をぶち込み、煮込む。
パチパチと弾ける炭火と煙に煽られ、煙を全身に浴びながら、火勢を維持し煮上がりを待つこと数十分。
やがてグツグツ煮立つ鍋から、ほのかな匂い、「さあ~出来た出来た」と完成を祝い、皆で箸を突っ付く。
とろけるような芋をふうふう言いながら、口に運び野性味豊かな晩餐が始まる。
己は家では殆ど手だてせず、只々食べる人。此処の男世界では、かみさん居なくても、手慣れた手つきでの包丁さばきや、味付けに、腕振るうプロに感心するばかりであった。
火種を絶やさず、火を囲んで、ビールから日本酒へ宴もたてなわ。日頃の呑み助の運転手さんも、気の毒であったが目の前のアルコールの匂いを嗅ぎながら、節度の烏龍茶で杯を交わし、場を取り作ってくれた。
あのてんこ盛りであった具材も時間と共に腹に収まり、鍋の底に出し汁と一緒に残るばかりになった。この出し汁が凝縮されて濃い味となり、こってりとした味が何とも言えぬ口当たりにこれぞ芋煮の神髄と感激し、総て腹に納めた。
その拠点となった場所は都市化された五日市ではあるが、そばに流れる秋川は透明度も高く、はやの泳ぐ姿が手に取るように見える。秋口に日も落ちるのも早く、惜しみながら残り火を落とし、野趣豊かなBBQをたたみ、撤収した。

有馬記念

2005-12-22 15:16:00 | 仲間との絆

競馬に全く疎い人種であるが、暮れも押し迫って行われる有馬記念。
今年はディーブインパクトが強く、人気を呼び、熱狂的なフアンは開催の数日前からこの寒空の中、会場前で既に並んでいる様である。
馬の話はこの程度しか話せないのに何故か、この時期を迎えると、往時のことが思い出される。
実は友人の一人が、商売仇に就職し、同業者としてその動向はお互いに気にかけていた。商売柄、社運をかけたショーが隔年で晴海の国際展示場で行われその会場でばったり会ったりし、商売抜きに友人として言葉を交わし、年賀状では欠かさず挨拶する一人でもあった。
その彼が一人の競馬フアンでもあった。
その彼が会社の幕引きを無事に終え、悠々自適の世界に入って間もない時期であった。毎年の検診に引っ掛からずの、健康体であったが、腰の痛みから調べたが原因判らず、精密検査を受けた結果、かなりの進行性の肺ガンであった。
不幸にして判った時には時既に遅く、手の施しようもなくあっと言う間に鬼籍に入ってしまった。
肉体はかなり蝕まれていたが、亡くなる前まで、健常者と余り変わらない応対で、余りにも早い旅立ちであったようだ。
フアンの一人として有馬記念の馬券を買い、病床からもその結果を楽しみにしていた。
その日の前日、当人の希望もあって有馬記念の予想を占う、スポーツ新聞を家族は買って渡し、当人はそれを読み、その夢を追っていたようであったが、その翌日、既に帰らぬ人になってしまった。
喧騒の中、期待と夢かけた万余のフアンに注目される中で有馬記念は行われ、夢のビッグレースは滞り啼く終わり、何時ものように年の瀬の年中行事が終わった。
果たしてその結果が本人に伝わったのか、知る由はなかったが、毎年この時期になると思い起こされる。

花より団子

2005-04-06 10:41:00 | 仲間との絆

芝生の上にシート、車座に座り、花見で「カンパイ」と言う所だが、残念ながら肝心の花びらは見えず、今年は例年にない開花の遅さである。
でも、飲み助には花が無くても、酒とご馳走さえあればそれで満足なのである。アルコールは肝臓で酵素の助けをかりてアセトアルデヒトに変えられ、水と二酸化炭素に分解される。この物質が分解されず、体に残ると悪酔いの原因となる。(新聞記事から)
さてその飲み助たる由縁はその酵素の量は遺伝的に個人差があり、飲み助は酵素が多い。我が家系では兄弟の中でもバラツキがあるが、有り難いことに爺様の飲み助の家伝が私に引き継がれ、どうやらその分解酵素がいちばん多く、ひたすら飲む兵衛さんの喜びを甘受している。
さて、その酵素は飲まない日が続くと弱くなってくるそうであり、過去の酒量は余り当てにならず、飲み助であってもたまに飲む時は控えめが肝要である。酵素を活性化させるには「毎日、適量飲み、分解酵素を維持させることで、必ずも休肝日は必要ない」そうである。
でも、この日はやはり飲み過ぎであったようでアセトアルデヒトが分解せぬまま家までお持ち帰りのようで、すっかり酔いの中、我が家にどうたどり着いたか覚えていないのである。

納涼祭

2004-09-05 16:18:00 | 仲間との絆


やせ細っていく会社の唯一残された広場で納涼祭が行われた。
敷地はドンドン切り売りされ、厳しい社況の中、納涼祭だけは死守しているようだ
芝生の上に作られた野外ステージと提灯の明かりに、集まる従業員と近隣住民との憩いの場である誘われるままに赴き、雑踏の中へ。車座にビールと焼きとり、焼きそばに既に出来上がっている昔の職場に恥ずかしながら顔を出す。
薄くらい提灯の明かりに怪しげな妖怪の突然の出現に、指さし『あれまだ生きている居る』と笑われる。
年の経過を物語るように、車座の中の顔、顔、当たり前だけど皆、それなりに一端の顔になっている。
『ん~ん皆良い顔、なんだろう』と思いつつこの晴れやかな舞台に、老い足る姿は興ざめだろう、早々に引き上げる。

ようこそ松崎家の世界へ

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