春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

スワッ!!警官だ~

2009-09-13 19:47:00 | 事件だ~!!

「ピーッ、ピーッ、ピーッ」
「はい、そこの車止まりなさい」
「エッ!! 酒気帯び・・・?」
「3年以下の懲役、50万円以下の罰金」.。ooO(~へ°)/ひゃ
何時も我々庶民に対しては居丈高なお巡りが、行く手を阻み、指図をしている。
複数の警官が上半身だけ出し、それぞれの身構える姿は何か事件か?
と、思いきや腕は差し上げているものの、首を傾げ、うなだれるように下を向いている。
良く見ると、田んぼの中のユーモラスな"かかし"であった。

本土に余り影響の無かった台風が遥か太平洋上を通り過ぎると、北の寒気が本土にやってきて、朝晩がぐん~と涼しくなった。
か~と照るお天道さんの夏気分も味わうこと、少なくどんよりした天候の中、一気に秋モードに入ってしまった。
じと~とした、汗が滲む暑さはいやだな~と思いつつ、過ぎ去ってしまうと、何となく寂しい。
20℃前後の朝、気分良く、市内を徘徊する。
ご覧の通り、旧南多摩郡部は宅地の中に、緑に覆われる耕作地は未だ未だ頑張っている。
先人が残した用水路は浅川や多摩川から取水し、市内を駆けめぐり、田畑に導かれ、米作りが脈々と続けられている。
のんびりした不動のお巡りの威嚇が空からの外敵にどの程度効果が、あるのか判らない。
この頼り無い警官姿の脇で、棒の先にヒラヒラした紐を付け、振り回しながら、田んぼの周囲を農家のおっさんが足早に廻っている。
季節感漂う、田園風景である。日照りは悪かったが台風も来ず、収穫時期を迎えている。
果たして、今年はどうであったのだろうか?

教習所が蘇る

2009-02-01 10:56:00 | 事件だ~!!

昨年の10月、突然の倒産。大勢の生徒の前で激しい罵声が飛び交い、壇上で土下座する女社長など、市民会館での騒然とした姿はTVでも報じられ、話題となった。
その間、閉鎖された教習所は赤旗が立ち、ベタベタと張り紙が貼られ、復活にかけ戦闘モードであった。また豊田駅前の広場では元職員が赤旗を掲げ、復活の署名活動など呼びかけていたが、教習場の動静はどうなるか、全く判らず、月日の経過と共に、このまま淘汰されのでは思っていた。
この窮状に「飛島交通」が動き、八王子教習所の遺産を引き取り旧教習所の元職員を含む30人を雇い入れ「飛島ドライビングカレッジ日野」として復活のスタートを切った。
何よりも駅から近く、通学の便利な好立地に、旧設備をそのまま使えるので、再生条件はまたとない恵まれた環境にあるが、前触れもなく突然の閉鎖のダメージは大きく、経営者が変わってもこうした負の遺産は暫く付いて廻る。
まあ、そんな意味で八王子教習所の看板は写真の通り総て払拭され「飛島ドライビングカレッジ日野」に替えられた。

旧教習所の閉鎖の理由が明らかにされた。
やはり、不動産の失敗など経営が悪化、東京地裁に自己破産を申し立てた。
地道に教習に経営努力していれば、こんなことにもならなかったようだが、専業以外で大きな夢を追いかけ、その失敗が立ち行かぬ所まで追い詰められてしまったのであろう。
暫く途絶えていたが、看板替えた教習車が再び、街中をチョロチョロ走り廻るであろう。

八王子自動車教習所の倒産

2008-10-31 17:41:00 | 事件だ~!!
◇突然の倒産
驚いた!!昨日まで正常に教習していた八王子自動車教習所が東京地方裁判所に破産手続開始の申立てをすることとなり、本日(31日)突然倒産した。


◇恵まれた環境
JR豊田駅から3分、構内コースはJRに隣接した広い、空間を持ち非常に立地の良い所にあり、一定期間通うのにはこれ以上の場所はない恵まれた環境であった。
何故破産なのだろうか、勝手に推測すると
一つには少子化で受験生が総じて少なくなったこと。
国民総免許制ではないが、免許取得年齢に達すると、誰しもが車を持ち、運転したい、或いはペーパードライバーでも、機会あれば乗りたいと言うことで、かなりの割合で免許取得に走った。
◇車取得の夢も変わった
しかし、この不況下では、車の取得、維持に金がかかり、車所では無くなった。誰しもが車を持ちたいと言う、車に対する憧れが一時より落ちた。
ガソリン価格は下がってきたものの、限られた埋蔵量と世界的な需要増大で再び高騰の嵐は何れ吹きまくるであろう。
そんな社会の変化が、きっと教習所として立ち行かなきなったのでは無かろうか?

構内や街中を走った大量の教習車は大量に眠ったままでであった。再び息を吹き返すことはあるのであろうか・・・。


突然の倒産に受験生は1500人以上も居ると言うが、受講の中断や受講料の返済など、先行き問題の根が深い。
この大量に眠った教習車を前に不況はこんな足元まで及んでいることを思い知らされた。
因みに我が家は私、娘、伜3人とも此処で免許取得した。
近いから通ったが、毎度入れ代わる教官の中には、受講生を見下し品格を疑う鬼教官などのやからも多かったのは引く手あまたの受験ブーム時代だったかも知れない。仮免、本免の合格までに罵声に耐え、免許証と言う金看板に釣られ、何とか教官の印鑑を貰った悪夢が蘇るが、一方では淋しい思いも・・・。
果てさて此処はどうなることやら、教習車が置かれた駐車スペースはかってはボーリング場であったことを知る世代に、当地で長く居ついてしまった。


◇倒産の実態は

3日日野市民会館で債権者説明会が開かれた。
佐藤みどり社長が八王子自動車教習所の閉鎖し、自己破産を申し立て、債権者へ謝罪した。
激しい怒号の嵐の中、土下座し平謝り。心労しきった姿で関係者に背負われ会場から車に運ばれる姿がTVで放映され、激しいやりとりのあったことを物語っている。
社長の土下座シーンは約1カ月前、海外留学の支援をしていたゲートウェイ21が経営拡大により経費がかさみ、渡航者が多い時期の資金繰りが悪化し倒産した姿が重なり合うが、歪められた世相がこの姿に現れているようだ。
教習にそれぞれ夢かけて、一生懸命貯め、収めた入学金や渡航費用は突然の破産によって、ふっ飛び、払った費用の回収が困難という悲劇は全く同じである。

◇少子化と入学者の奪い合い
八王子自動車教習所の破産は徐々にその要因が明らかにされてきた。やはり少子化で入学者の絶対量が減ってきたこと、他の教習所との入学者の奪い合いは過当な値引き合戦が徐々に経営を苦しめたようであるが、投機による失敗が取り返しの付かないものになってしまったようである。
かっては市内の旭丘に専用のライダーコースを持ち、高値の華の存在であったメルセデスベンツを教習車に使うなど勢いの有る教習所として順風満帆に映ったが、徐々に事業規模もスリム化していった。背伸びした経営に行き詰まり、かなり厳しい自転車操業で、それが崩れ一気に破産に追い込まれてしまったようである。駅に近いこれだけのロケーションに資産価値の高い 場所を持っても返済しきれない莫大な借財の大きさを物語る。
写真はその所内コースの一部、汗と涙で辛酸を嘗めた、S字コースとクランクで此処を越えるのも一つのハードルであったが・・・再び、亀の子のように動き回った教習車の姿は見えなくなってしまうのであろうか。
八王子自動車教習所の破産記事の感心の高さに、及ぼす影響の大きいことを改めて認識した。



緒方拳主演の「破獄」

2008-10-12 16:16:00 | 事件だ~!!
◇俳優緒方拳が肝臓ガンで亡くなる
5年前から既にガンに掛かって居たようで、関係者にも、ひた隠したようで緒方らしい廻りに心配をかけない、気配りであった。親友であった津川雅彦が最後を見送ったようで、「名優らしい見事な最期だった」と目に涙を浮かべて語った・・・は役者の姿を最後まで貫いているようであった。役者として同じ道を歩む、子供達にも偉大な役者と言わせる位の凄い役者であったことが改めて思い知らされた。
時代劇の大河ドラマで名を広め、素地で既に戦国武将を彷彿する風格備えた役者さんとして、印象が強い。
先月、北海道旅行で網走刑務所に行った時に昭和11年青森で犯罪を侵して青森の拘置所で収容され、以来秋田、網走と脱走、捕縛を繰り返し、最終的に府中に送られ更正した実話が紹介された。この話が大変有名で昭和59年緒方拳主演で「破獄」という題名でテレビドラマ化されている。

写真はその時に紹介されたもので、扉にある鉄格子は木ねじ10本で留められているが、此処に食事の味噌汁を口に含んでは捻子の所に少しずつたらし込み、この鉄格子を揺さぶり続け、凡そ1年間準備をして、ここから出て行った。
そのモデルとなった人物は府中刑務所の所長さんが温かい心の持ち主で、模範囚になった所から、昭和36年仮出所したが、昭和54年71歳の時に心筋梗塞で亡くなる。
その年齢が緒方の年齢と偶然であろうが、重なり合い、その巡り合わせに驚く。お冥福を祈る
網走監獄で詳細を記述する

◇緒方拳主演のドラマ「破獄」
国営放送 BS2で特番を放映された。
題材が題材だけに、冒頭から脱獄して多数の看守に取り押さえられ、素っ裸にされ屈辱的な検査をされると言う、シーンから始まり、脱獄、脱走、捕縛、収監が東北から北海道網走など各地で転々と行われるの重くて暗~いシーンがこのドラマの全般を覆っている。
その半生を繰り返される脱獄と捕縛に殆どが監獄の生活にあって、更正、社会復帰の機会をみないまま、どんな厳しい環境下にあってもするりと逃げ出す、執念と技術を備えた緒方拳が演じる脱獄王の姿であった。
モデルが青森出身で口が重く、逃走、収監など終始監視下に置かれる中で、眼光鋭く、目配りし思考する表情は役者の持つ天性がそのまま活かされているようで、ぎりぎりの所で生きている姿を見事に演じていた。
それを見守る看守もサーベルを腰に下げ、囚人に対して居丈高で見下し、時には腕力で囚人を捻じ伏すなど、囚人に取っても厳しい戦前の時代背景を現していた。
この脱獄王に運命的な出会いがあった看守が、次々に挑戦的に繰り返す脱獄犯との取り押さえる立場からの戦いの歴史でその看守役に津川雅彦が演じていた。
鬼の看守に憎しみ、心を開かなかった脱獄犯も、長い収監時代に徐々に氷解し、二人の間には対決から融和の絆が芽生えてくる。
しかし、再犯は納まらず、強盗を働き捕まり、もう北海道の刑務所では無理ということで、府中刑務所に収容されている。ここの所長さんが温かい心の持ち主で、模範囚になった所から、仮出所し晴れて看守との再会が生まれるが、社会復帰後、間もなく亡くなる、ところでドラマは幕引く。
ドラマでは看守として、若々しく男前で格好のよかった 津川雅彦も、緒方拳が亡くなった後の記者会見でのめっきりと年老いた姿に驚いた。ドラマ化後、すでに20数年経っていることを改めて思い知らされた。

写真は網走監獄で脱獄する姿がリアルに演出されてあった。
その様子は網走監獄で報告している


目の前で火柱

2007-11-14 12:29:00 | 事件だ~!!

日も傾く16時過ぎ、早く家路につこうと、急ぎ横浜 元町商店街を通って居る時であった。
離れたところからであるが、赤い火柱が立ちのぼっていく姿がはっきり見えた。
季節柄、ちょっと早いが、歳末商戦かクリスマスの時期に合わせた、店のショウーアップにこの火柱が人目につき、客寄せに一役かっているのでは思えるぐらいの見事な燃えっぷりであった。
近づいて見ると、店の外壁を覆う樹木をあしらった装飾品の部分から1m弱の火柱が殆ど煙を出さずに燃えている。ただ燃えるに任せ、じっと見守る店員、店内に狼狽する店員の姿に初めて「こりゃあ火事だ~」と言う事が初めて判る。
燃え始めて時間がかかっているのか、ヘルメット姿のおっさんが消火器を担ぎ、駆けつけてきた。その火炎部分に消化剤を放射するとたちまち火炎が消え、手慣れた消化作業は鮮やかなものであった。
消化剤をまいた後の煙は店の周辺始め、店内に及び、付近の通路にも強烈な刺激臭を伴ってひろがった。
この間僅か1~2分の出来事で、消防署の出動も無く、未然に防げたのは不幸中の幸いであったのでなかろうか。
出火部分は人の手の届かない部分だけに電気系統のショートからの炎上とも思えるが、火災の火種は何処にもあると思い知らされた。

消火後もなお煙が立ち込める店内であった。
炎上した部分の外壁が真っ黒く煤けた後が残されている。
店員の脇には主役となった消火器が置かれている。
突然の出来事に遭遇し、驚いた。

ようこそ松崎家の世界へ

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