春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

北の地で見つけた宝物

2006-09-29 15:17:00 | こんな鉄道もあるぞ~

やっとのことで捜し当て、既に廃線となった雄別鉄道の阿寒駅とその鉄道車両の眠る姿。
駅舎のホームに到着したままのリアルな姿で静態保存された姿はテッチャンフアンで無くても圧巻であった。
釧路湿原に隣接するマリモ街道(国道240号線)を釧路から阿寒湖に向かう途中に阿寒国際ツルセンターがあるが、そのツルの越冬地としてツルを大事に育て、広々とした施設を観光の目玉として公開している。
そのセンターを国道を挟んで反対側に広大な阿寒自然休養村がある。
その村の隅っこにかっては、雄別炭鉱と釧路の間を結んでいた雄別鉄道が走り、石炭の輸送とも合わせ、住民の足として重要な役割を持っていた。
戦中、戦後を通じて国内の産業の華、黒ダイヤとして輝いていたが、石炭廃坑とともに路線は廃線となり、当時阿寒駅に停留していた車両が駅諸共、静態保存されてしまった。
廃線後、36年経過しており、その姿は旺盛な雑草の生い繁る中に埋没し、大地に吸い込まれ、風化している姿が実に印象的であった。
広大な休養村の一角、道不案内と言うこともあってか、訪れる人も少なく、当日も我々戯れる4人だけで、誰も来なかった。
華やかスポットを浴び、その所在が人々から忘れられる存在、大地に埋まる姿が実に新鮮にも見えた。
その姿を追って、以下で纏めて見た。
幻の雄別鉄道跡

交通博物館の幕引き

2006-05-07 00:28:00 | こんな鉄道もあるぞ~
◇鉄チャンあこがれ交通博物館
先日、法事で都心に向かい、電車に乗ったが、GWで凄い人ごみであった。


JR中央線から山手線へ新宿駅で乗り換え、発車間際の乗車客が渦巻く中に飛び込み、押し込まれる流れの中で身を任せていたら、自然と運転席の背後になってしまった。
「発車進行」なんて、発車合図が聞こえそうな運転席に乗り合わせてしまったが、目の前のパノラマショーに自然と目が入った。
普段の乗車席の車窓から見る世界と目の前の鉄路を走り抜ける運転席の世界と全然違う事が改めて認識した。
運転手の背後にいるため、「発車、加速、減速、停止」の運転操作が目の前で判るので操作と目の前の景色の変化が連動してダイナミックに伝わってくるので恰も自分が運転している錯覚に入って行ける。
ゲームソフトで市販されている「電車でGO」なんてソフトが結構オジサン達を夢中にさせている人気のソフトである。
電車の側面からイメージする景色と運転席からの景色と全然違うので、その眺望の世界に取りつかれると、思わず降車駅を見逃しそうなぐらいに夢中になってしまう。呉々も乗り過ごさないように(^0^*
はてさて、そんな鉄チャン姿に埋没してしまったが、折しも今月半ばに鉄道フアンに親しまれ一大、偉業をなし遂げた交通博物館が惜しまれつつ遂に幕引きを迎える。
親に連れられて、或いは子供仲間で一緒に此処にやってきて、目の前のその不思議な世界に直接手に触れ、夢中にさしてくれた。
弁慶号初め、御陵列車など時代を越えた歴史的な記念車両などその姿に感動を覚え、懐かしさもあって年を取っても、少年の様な輝きを持って接する事が出来た。しかし、その役割は遂に終え、この14日で幕引きとなる。
新たな鉄道博物館が、都心から離れ大宮に出来るが、随分遠くなってしまうが、更に交通博物館から鉄道に特化されるため鉄道以外の貴重な姿が、これで最後になってしまう可能性もある。
「未だ間に合う、鉄道フアンで有らずともこの歴史的な展示物に悔いを残さないためにも最後の別れをしておこう。」

◇万世橋のミステリゾーン
既に本日記でも載せた、馴染みの万世橋
かっては中央線のターミナル駅として栄華を極め、長距離の旅の駅舎として旅客の待合に1、2、3各等級単位の部屋を持ち、2階には食堂を備え、乗客ばかりか見送る客も大勢集まったようだ。
駅舎が建つ明治45年には日本が近代化を目指す、日露戦争華やかな時期でもあり、駅前に当時の軍部が軍神として崇める目的で巨大な広瀬武夫海軍中佐と、杉野孫七兵曹長の群像銅像をたてられた。
広瀬武夫中佐と言う人物は、日露戦争において自分の命をかえりみず、旅順港閉塞作戦に従事し、退却時にボート上で砲弾の直撃を受け戦死する、享年36。
その銅像も終戦後昭和22年にGHQの指示で撤去される。
その豪華な駅舎は震災で炎上し、再建されたが、東京駅が出来てからターミナル駅としての役割はなくなり、単なる中間駅として縮小化され、昭和18年遂に廃駅の運命となる。
そんな時代を活きた万世橋駅の遺構が未だ残されている。

普段何気なく乗っている、中央線の神田、お茶の水間に僅かにそのプラットホームが生い繁った雑草の中かに埋もれながら残っている。
そのプラットホームに通じる階段初め、栄華を誇った駅舎の一部が深い眠りの中から目を覚ました。
高架線脇を流れる、神田川と高架橋下を激しく行き交う車世界の要路、都会の動脈として東西を結ぶ電車網の要、JR中央線そんな都会の一角に、未だ深く眠っていたミステリゾーンがあるなんてとても不思議な世界であった。
以下で紹介する
幻の万世橋を追って

女性専用車

2006-01-12 09:53:00 | こんな鉄道もあるぞ~

「ありゃ此処は俺様の定席と思っていたら、とんでもない所に乗ってしまった」
都心に出かけ、アルコールも入り多少の酔いと久しぶりに出た人ごみに疲れもあり、始発の東京駅から、ゆったり座って帰ろうと、並んで待っていた。
もとより、電車待ちの行列に、目の前の順番待ちの行列するお客の背中しか見えないが、車両の到着に併せて、降車するお客さんが、出るや否や、一目散で席の陣取り合戦が始まる。
「やれやれ、席も取れ、これから1時間の長旅、じっくり座っていけるぞ」と思い、ホットし、正面を見ると、なんと女性専用車のピンクの張り紙がパタパタ貼り付けてあるではないか
「やばい、とんでもない車両に乗りあわせてしまった」とキョロキョロすると廻りを意図せず、堂々と乗る同姓も居るではないか
その姿に勇気を得て「えい、ままよ!このまま居すわってやるぞ」と目の前の紋所と周囲の目を気にしながらを居直って、居すわってしまった。
声を掛けられたら、どうしよう、その時に、とぼけて気づかなかったと、言い訳すればとも思っていた。
時間の経過と共に車内が空いてきた、席をたって、改めてこのピンクの看板を近寄って見ると、小さな文字で「・・・平日/より新宿駅で7:30~9:30に発車する東京行きの電車で、女性専用となる」旨の但し書きが読めた。
畜生、看板に偽りあり、大きな女性専用の看板に騙されたのだ
小心者を驚かす紛らわしい看板に、腹立たしさとそれを早呑み込みした己が情けないやら、ともかく犯罪者の嫌疑が解け、ホットした。
田舎もんの身分に乗り物ルールさえ変わってしまった現実の姿に戸惑い、都心が益々遠くなった。

路面電車

2005-03-22 06:41:00 | こんな鉄道もあるぞ~

都内唯一の都電、未だ下町の足として、孤軍奮闘し、何とか頑張っている。
その起点となる三ノ輪橋界隈は泥臭くさく、飾り気の無い普段着のままの下町の独特な文化を残している。
三ノ輪橋の駅はその象徴でもある、商店街が軒先並べて隣接し、惣菜やら、お祭りの屋台で見る様なお店に、ショッピングカーや自転車を曳くお客が無秩序に往来し、賑わいを見せている。
「えい!!こちとら江戸っ子でえ~い」なんて台詞で道脇から寅さんが出てくるような稲荷神社が街の雰囲気作りを演出してくれる。
向こう三件両隣、人と人の繋がりは分け隔てなく、昔ながらの人情味豊かな文化が息づいている。
この下町の臭いをたっぷり嗅ぎ、同じ日に山の手線経由で東急世田谷線(玉電)に乗ってみた。
三軒茶屋の駅舎が、スマートな新装ビルのなかに埋まり、赤い石畳の先には色も鮮やかな車両がホームに待ち受けていた。
まるでおもちゃ箱のような小さな車両であるが、あか抜けしたスタイルの制服で固めた女性の車掌さんが、にこやかな笑顔で車内へ誘導していた。
駅に電車待ちで並ぶ、乗客も、其処は三ノ輪橋とは全く違う、山の手の何となく気取った雰囲気の街であり、文化であった。
「えっつ、何で下町から、一気に山の手へ」
全く思いつきではなく吉田松陰が処刑され埋葬された回向院、それから数年後幕府の力が落ちた頃、高杉晋作らが毛利別邸である、松陰神社へ遺体を運びさってしまった。そのドラマを見たかったが、一方ではこの二つの路面電車にたまたま結びついたのである。
路面電車に誘われて

ようこそ松崎家の世界へ

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