ご近所を良く歩き、それが健康維持であったか
拙宅の植木の刈り込みに「綺麗になりますね~」と
優しく声をかけてくれたのが、つい先日のようで、元気な姿であった。
その姿を最近、見えなくなり
ベットに過ごさされる不自由な体であったようだ。
生きていくために本人ばかりか、24時間の家族の支援は
語りに尽くせぬぐらいに大変だったようである。
近所の誼、何かお手伝い出来るものは
せめて、仏様とその家族への恩返しである
お通夜と告別式に図らずも、受け付けの重い
仕事に陰で支えることが出来た。
お通夜は、用意した椅子も、間に合わず
予想を越える弔問客であった。
これも、仏様や喪主の人徳から
お別れしたい人達の
自然発生的に生れた結果であった。
両日とも、春特有の変わり易い天気
お住職のお経を読み上げる厳粛な折に
春雷がなり、時折激しい雨が
地面を叩きつけた。
丸でお別れを演出するかの如く
轟き渡った雷鳴であった。
告別式も終わり火葬場へ
お住職の最後の読経のなか
お別れのお焼香
かまどの扉を開くと
すでにゴーと言う火炎の音が響き渡っていた。
空高く、魂は五月の空へ
先程の春雷は既に収まっていた。
ああ~これで、終わってしまった。
お冥福を祈る。