押し迫っての悲しくも重い義兄の旅立ちであった。
癌との闘病に一進一退を繰り返し
転移が脳に及び
近代医学をもっても、最早手の施しようもなく
最後は医者の手から離れ、
ただただ、時間の経過を待つだけの最後であった。
叩き上げの大工さんとして腕を上げ、
建築ブームの追い風に乗り
多くの職人さんを抱えるまでの隆盛の勢いであった。
一線を退き、野菜作りなど畑作業に、エネルギーを注ぎ
生涯鍛えた体は鍛えた体は頑健そのものであった。
ご住職の法要も終わり、霞が関(埼玉)で、お迎えの車に載せられるまでの
子供達、孫達、親戚縁者に最後の別れであった。
取り分け、未だ幼稚園の孫娘の初めての体験。
おじいさんの姿を前にしり込みする姿は
只事ならぬ状況が、自然と判ったようであった。
煙となって、天空高く、飛び去ったことを見届けた後、
義兄宅に行き、庭の畑に寄ってみる。
大根が地中から、顔を出していた。
手塩に掛けた柑橘類や真っ赤な唐がらしが、今や盛りと
沢山なっている。
その一つを口にすると、とてつもなく酸っぱさが、口に広がる。
「そりゃ~酸っぱいだろうよ」
と畑の向こうから義兄が微笑んでいるようでもある。
既に主の居なくなった今も、この厳冬の世界に
しっかりと根付いていた。