<山門前で>
『凄い凄い人出』正月参拝で渦巻く人の群れの高幡不動であった。
毎年通例の車の安全祈願は夜明け頃に行くため、流石、参拝客は少ないが、今年は孫娘と一緒に我が家から歩いて1時間、人の渦に飛び込んだ。
<ものものしい警備の北野街道>
大半の参拝客は京王線、高幡不動駅利用が多いが、不動側の降車口から目の前の参道口へはロープが張られ廻りは誘導員に固められ駅から繋がる参拝に人の渦の行列が始まっていた、
何時、動くか遅々として進まぬ行列に、皆従順に待ち続けている。
地元の利、駅側に繋がる行列を前にショートカットし、北野街道の交差点から山門に入る渦の中に突入する。
<ラッシュの不動堂>
押し合いへし合い、肩が触れそうな境内の混み合いに、行列が全然動かない。山門から10数mの距離であるが、亀の如き動きに、押し込められ只事ならぬ状況に、皆いらだってくる。
漸く拝殿前の賽銭箱前に辿り着く、僅かな空間、背後から人並みを気にしながら、慌ただしく祈願を済ます。
年の初め、神仏に向き合う、厳粛な場所での大事な儀式であるが押し流される流れに逆らえず、拝殿前で何を拝むかなんて、沈黙思考なんて余裕もなく、人の渦から退避し、やれやれと安堵する。
◇奥殿へ
混雑を避け混雑の『不動堂』から『奥殿』へ向かう。
元々の不動明王像はこちらが本尊で、護摩炊きで活躍しているのが身代わり本尊なのである。
<奥殿の全景>
◇丈六不動明王像とは
暮れの時期になると、ラジオから各所の新年祈願の勧誘の案内が繰り返し流されるが、高幡の場合は日本一の『丈六不動明王像』と流される。
この『丈六』とは何だろう?
尺貫法の長さの表記で1丈=1尺であり 丈六は1尺6寸となる。
1寸、概算30cmで計算すると約5m
立つと約5mの高さの巨大な不動明王になるが、像は座っており258.8cmの高さになる日本一と伝えられる不動明王なのである。
<不動明王像>
◇苦難の不動明王が平成の時代で復活
元々不動堂に収められていたが、像の痛みがひどく早急な修理の必要性から、平成9年から約4年間かけて修理した。徳川九代将軍家茂がこの不動を一番近い所で拝みたいと、言うことで此処高幡から江戸に人力で運んだが、倒れたり、風雨に晒されたり痛みがひどく、平成の大修理に繋った。
将軍色を背景に権力にものを言わせた家茂公の我が儘もあって、1t余りの巨像をトラックなど物流が無い時代にワッセワッセとひたすら人力で高幡から江戸までの運ばせたのである。
◇顔は怖いが優しい
左手の縄で言うことを聞かない悪人を強引にたぐり寄せ、右手の剣で刺し、後ろの火焔で焼き尽くす。
随分手荒な殺生であるが、正に悪いことしたらこうなるぞと戒めとなる。
「胸に手をあて過去を振り返り、悪事をどうかお許しください、明王様」と拝んでおいた・・・。
顔は大変怖いが、心の中は大変優しい。何時でもお参り出来る、親近感を配慮している。
物凄い人の渦を前に疲れた。果たしてお利益は、
『凄い凄い人出』正月参拝で渦巻く人の群れの高幡不動であった。
毎年通例の車の安全祈願は夜明け頃に行くため、流石、参拝客は少ないが、今年は孫娘と一緒に我が家から歩いて1時間、人の渦に飛び込んだ。
<ものものしい警備の北野街道>
大半の参拝客は京王線、高幡不動駅利用が多いが、不動側の降車口から目の前の参道口へはロープが張られ廻りは誘導員に固められ駅から繋がる参拝に人の渦の行列が始まっていた、
何時、動くか遅々として進まぬ行列に、皆従順に待ち続けている。
地元の利、駅側に繋がる行列を前にショートカットし、北野街道の交差点から山門に入る渦の中に突入する。
<ラッシュの不動堂>
押し合いへし合い、肩が触れそうな境内の混み合いに、行列が全然動かない。山門から10数mの距離であるが、亀の如き動きに、押し込められ只事ならぬ状況に、皆いらだってくる。
漸く拝殿前の賽銭箱前に辿り着く、僅かな空間、背後から人並みを気にしながら、慌ただしく祈願を済ます。
年の初め、神仏に向き合う、厳粛な場所での大事な儀式であるが押し流される流れに逆らえず、拝殿前で何を拝むかなんて、沈黙思考なんて余裕もなく、人の渦から退避し、やれやれと安堵する。
◇奥殿へ
混雑を避け混雑の『不動堂』から『奥殿』へ向かう。
元々の不動明王像はこちらが本尊で、護摩炊きで活躍しているのが身代わり本尊なのである。
<奥殿の全景>
◇丈六不動明王像とは
暮れの時期になると、ラジオから各所の新年祈願の勧誘の案内が繰り返し流されるが、高幡の場合は日本一の『丈六不動明王像』と流される。
この『丈六』とは何だろう?
尺貫法の長さの表記で1丈=1尺であり 丈六は1尺6寸となる。
1寸、概算30cmで計算すると約5m
立つと約5mの高さの巨大な不動明王になるが、像は座っており258.8cmの高さになる日本一と伝えられる不動明王なのである。
<不動明王像>
◇苦難の不動明王が平成の時代で復活
元々不動堂に収められていたが、像の痛みがひどく早急な修理の必要性から、平成9年から約4年間かけて修理した。徳川九代将軍家茂がこの不動を一番近い所で拝みたいと、言うことで此処高幡から江戸に人力で運んだが、倒れたり、風雨に晒されたり痛みがひどく、平成の大修理に繋った。
将軍色を背景に権力にものを言わせた家茂公の我が儘もあって、1t余りの巨像をトラックなど物流が無い時代にワッセワッセとひたすら人力で高幡から江戸までの運ばせたのである。
◇顔は怖いが優しい
左手の縄で言うことを聞かない悪人を強引にたぐり寄せ、右手の剣で刺し、後ろの火焔で焼き尽くす。
随分手荒な殺生であるが、正に悪いことしたらこうなるぞと戒めとなる。
「胸に手をあて過去を振り返り、悪事をどうかお許しください、明王様」と拝んでおいた・・・。
顔は大変怖いが、心の中は大変優しい。何時でもお参り出来る、親近感を配慮している。
物凄い人の渦を前に疲れた。果たしてお利益は、