575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

八月に生まれ八月もの思う     朱露

2011年08月22日 | Weblog
   今朝は七十七才の来し方を振り返る。
   三才の疫痢と十才の機銃掃射で死ぬ。
   その後腹膜炎と肺結核の手術で死ぬ。
   その後半世紀毎晩酒を飲み毎晩死ぬ。

             



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亡き人も我を忘るる大花火   遅足

2011年08月22日 | Weblog
船団・岡野ドクターの診断です。

なんか芭蕉みたいで、深いなあ。褒めすぎでしょうか。
去るものは日日に疎しといいますが、この句を前にすると、
この成句があくまでも生者側からの発想であったことに気づかされはっとします。
鬼籍に入ったあの人も、あのひとも、この私を忘れるというのですから。
死者もまた忘却するという思ってもみなかった発想です。
花火は間違いなく生者側の現象ですが、
夜空の束の間の光に死者の誰それが浮かんだのでしょうか、
それとも、この死者の忘却という想念がそれこそ光速で現れたのでしょうか。
大花火が効果的です。

ありがとうございます。

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枝豆のさや積み上げて考える    朱露

2011年08月22日 | Weblog
    人は一生懸命枝豆を食べるものだ。
    黙々と食べる図は沈思黙考に似る。
    少し塩を振りたいという程度でも。
    枝豆が友の限り悪巧みは出来ない。

            



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