575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

檸檬句会   麗

2011年08月18日 | Weblog
突然の雨に降られながらも蒸し暑い中行われた昨日の檸檬句会。
レモンのさわやかな香りに包まれながらの句会ではなく汗を吹き吹きの開催となりました。

レモンといえば初恋の思い出。若き日の青春の一片。その既成概念に引きずられた句が多かったような。。。なかなか手強いお題でしたね。

さて朱露さん作の

    積ん読や檸檬の梶井基次郎

から一体、どんな内容だったかと句会で話題になりました。皆の朧気な記憶。
これは一度読み直さねばと思っていたら手持ちの電子辞書に全文掲載されていました。(しかも音声付き)

以前読んだ時は何かよくわからない感じでしたが、檸檬句会のあとで檸檬の存在について語ったあとだったかして今回はすとんと理解できました。

僭越ながら要約いたしますと、「憂鬱な不吉な塊を胸に抱いている主人公が、ある日ひとつのレモンを買ったことで急に元気になり、その冷覚、触感、嗅覚、視覚が目覚めます。しかし、その気持ち良さは長続きせず、また鬱屈した気持ちに逆戻り。立ち寄った丸善で本を積み上げ、その上に爆弾に見立てたレモンをおいて爆発する瞬間を想像しながら店をあとにする」という内容です。

積ん読から解放されましたか?
さすがに檸檬の形を紡錘形と表現するところ、「鼻を撲つ」香りと表現するところ。一個の檸檬で気持ちが軽くなる不可思議さ。檸檬の重量感。そのあたりの描写はさすが梶井基次郎。

「檸檬」を読んで句を作ったらかなり違った俳句ができたかもしれません。やはり積ん読はいけませんね~。でも朱露さんはきっと読んでおられることと思います。

さて、トップ賞に輝いた能登さんの

   葉を分けてグーを突き出す青レモン


色づく前の青いレモン。その形が勢いのある拳に見える。それをグーと表現されました。
梶井基次郎もびっくりの新感覚派。
カメラマンのとぎすまされた目でしょうね。

来月はコスモス。また百恵ちゃんの歌に引きずられないように新しい表現にチャレンジしましょう。
コメント
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