575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

初句会古稀忘れたる一人旅     朱露

2012年01月04日 | Weblog
 昭和二十年夏グラマン機銃掃射で終わる。
 二機で交互に撃たれては助かりっこない。
 九年八月生まれだから十一才の命だった。
 杜甫曰く「人生七十古来稀」。ホントだ。

              



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旅に出会う旅     遅足

2012年01月04日 | Weblog
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

昨年の末に、京都の東福寺に行ってきました。
底冷えの寒い一日でした。
方丈の前を通って山の方へ。
屋根のある橋を見つけて・・・
近づいて見ると、古そうな木橋です。
紅葉も散ってしまった小川を渡り終わると、龍吟庵です。

一人の初老の女性が落葉掃きを・・・
「寒いですね」と、挨拶をすると、
「龍吟庵は国宝です。今は非公開ですが、来年には公開されます。
柿葺きの屋根は大変めずらしく、雨に強いそうです」と。
今、渡ってきた橋は偃月(えんげつ)橋といい、
秀吉の妻・ねねの方が寄進したもの、とも。

ここまでは、まるで夢幻能と呼ばれる能のようです。
前半は、ワキの旅人の僧が土地の人(前シテ)と出会う。
シテは、その土地の由緒を語って消える。
ここで中入り。後半へ。
ワキが読経をしてと、夜になって亡霊が現れる。
これが後シテ。この場合はねねの方の亡霊。
橋の由緒を語って、弔いを頼んで夜明けとともに消える。
もちろん亡霊は現れませんでした。

旅には、非日常の世界を発見したい。
自己をリセットしたいという気持ちが潜んでいるようです。
私の場合、異界に遭遇して、後シテが現れることはありません。

しかし、そこに佇み、詩の世界へ入ることは出来るかも知れません。
詩には、非日常の世界へ我々を連れて行ってくれる力があります。
夏目漱石は、その場で575の句をつくれ、と言っているそうです。
家に帰って苦吟の結果です。

     掃き寄せてあの世この世の落葉かな   遅足



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