昨日に続いて、能と俳句についてです。
この漱石の句も、能「鉢木」からの本歌取り。
大雪に道を迷ったワキ僧の様子を謡った箇所。
今降る雪に 行方を失ひ 一所に佇みて
袖なる雪を うち払ひうち払ひし給ふ気色・・・
句では作者の姿とともに、深い雪のなかで難渋する
僧(実は鎌倉幕府の執権)のイメージを引き寄せることが出来るために
句の世界が大きく広がります。
漱石も虚子も宝生流の謡を習っていました。
永き日のわれ等がために観世音 虚子
これは「田村」から。
げにや安楽世界より 今この娑婆に示現して
我等がための観世音 仰ぐも疎かなるべしや
娘を亡くした父が子の為に建てる観音像の台座に
刻む句として詠んだものだそうです。
有明に残る桜の一二片 虚子
昭和2年、宝生流の名人・松本長氏が
秘曲・関寺小町を謡ったあとの一句。
能の印象を一句に仕立てたもの。
こんな句を頂いたら、松本さんは嬉しかったでしょうね。
(能狂言が見たくなる講座十撰より) 遅足
この漱石の句も、能「鉢木」からの本歌取り。
大雪に道を迷ったワキ僧の様子を謡った箇所。
今降る雪に 行方を失ひ 一所に佇みて
袖なる雪を うち払ひうち払ひし給ふ気色・・・
句では作者の姿とともに、深い雪のなかで難渋する
僧(実は鎌倉幕府の執権)のイメージを引き寄せることが出来るために
句の世界が大きく広がります。
漱石も虚子も宝生流の謡を習っていました。
永き日のわれ等がために観世音 虚子
これは「田村」から。
げにや安楽世界より 今この娑婆に示現して
我等がための観世音 仰ぐも疎かなるべしや
娘を亡くした父が子の為に建てる観音像の台座に
刻む句として詠んだものだそうです。
有明に残る桜の一二片 虚子
昭和2年、宝生流の名人・松本長氏が
秘曲・関寺小町を謡ったあとの一句。
能の印象を一句に仕立てたもの。
こんな句を頂いたら、松本さんは嬉しかったでしょうね。
(能狂言が見たくなる講座十撰より) 遅足