東福寺の門前に天得院という小さなお寺がありました。
荻原井泉水(せいせんすい)の句碑があるということ。
門から覗いていたら、お寺の方が案内して下さいました。
井泉水は、大正十一年に、自由律俳句「層雲」を主宰。
しかし翌年に妻、さらに母を亡くしています。
この頃、京都の天得院に住んでいたとのこと。
佛を信ず麦の穂の青きしんじつ
西国巡礼をして弔いの日々を送ったころの句でしょうか。
こんな句もあります。
空を歩む朗々と月ひとり
自由律俳句を唱えた井泉水らしい良い句です。
石のしたしさよしぐれけり
命の儚さが身にしみたためでしょうか・・・
時雨に濡れる石に親しみ、というか、
命を感じているようです。
自由律俳句は、今はあまり盛んではありませんが、
これも俳句の一つのあり方。
先人たちが試行錯誤しながら築いてきた詩のカタチだと思います。
捨てずに継承していきたいと思います。
遅足
荻原井泉水(せいせんすい)の句碑があるということ。
門から覗いていたら、お寺の方が案内して下さいました。
井泉水は、大正十一年に、自由律俳句「層雲」を主宰。
しかし翌年に妻、さらに母を亡くしています。
この頃、京都の天得院に住んでいたとのこと。
佛を信ず麦の穂の青きしんじつ
西国巡礼をして弔いの日々を送ったころの句でしょうか。
こんな句もあります。
空を歩む朗々と月ひとり
自由律俳句を唱えた井泉水らしい良い句です。
石のしたしさよしぐれけり
命の儚さが身にしみたためでしょうか・・・
時雨に濡れる石に親しみ、というか、
命を感じているようです。
自由律俳句は、今はあまり盛んではありませんが、
これも俳句の一つのあり方。
先人たちが試行錯誤しながら築いてきた詩のカタチだと思います。
捨てずに継承していきたいと思います。
遅足