能と俳句の最終回です。
現代の俳人も、題材を能にとった句を詠んでいます。
作者の平井さんは、自句自解のなかでこう言っています。
謡曲にあるこの上・中の句のことばは、時折よみがえってくる。
神には疑いはない。神は明らかに真実を見とおしているから。
「疑ひは人間にあり」は、羽衣という謡曲のなかに出てきます。
羽衣をとった男が、舞をまってくれたら羽衣を返そうと言います。
しかし、返したら、舞わずに天に帰ってしまうのでは?
と、言うと、天女はこう答えます。
疑ひは人間にあり、天には偽りなきものを
天には偽りも疑惑もない。偽りを言ったり、疑うのは人間である、と。
歌人では馬場あき子さんが、能に詳しくて本も書かれていますが、
俳人では、あまり聞いたことがありません。
私も一句つくってみました。
能・朝長のなかの言葉。
光の陰を惜しめども 月日の数は程ふりて
を頂いて
日記買ふ光の陰を惜しめとや 遅足
現代の俳人も、題材を能にとった句を詠んでいます。
作者の平井さんは、自句自解のなかでこう言っています。
謡曲にあるこの上・中の句のことばは、時折よみがえってくる。
神には疑いはない。神は明らかに真実を見とおしているから。
「疑ひは人間にあり」は、羽衣という謡曲のなかに出てきます。
羽衣をとった男が、舞をまってくれたら羽衣を返そうと言います。
しかし、返したら、舞わずに天に帰ってしまうのでは?
と、言うと、天女はこう答えます。
疑ひは人間にあり、天には偽りなきものを
天には偽りも疑惑もない。偽りを言ったり、疑うのは人間である、と。
歌人では馬場あき子さんが、能に詳しくて本も書かれていますが、
俳人では、あまり聞いたことがありません。
私も一句つくってみました。
能・朝長のなかの言葉。
光の陰を惜しめども 月日の数は程ふりて
を頂いて
日記買ふ光の陰を惜しめとや 遅足