三重県のいなべ市藤原町に鼎という集落があります。
ここの梅林が有名と聞いて、先日出かけました。
花の盛りは終わっていましたが、遠く藤原岳には
雪が残っており、素晴らしい眺めでした。
この集落には、鼎塚があると聞き、訪ねてみました。
小山ほどもある塚で、なんと関ヶ原の戦いで亡くなった
島津隊の武士たちを弔ったものでした。
西暦1600年、天下分け目の戦いに西軍として
参加していた島津隊は、敗戦が明白となるや、
なんと正にいた東軍の真ん中を突破、南へ・・・
藤原町の鼎を通って故郷の鹿児島へと帰ったのです。
島津隊には多数の犠牲者が出たそうです。
塚はその時の霊を慰めるため鼎の里人が作ったもの。
びっくりしたのは、500年近く経った平成の世に
小中学生からなる「島津関ケ原戦跡踏破隊」が毎年、
夏休みを利用してやって来るとのこと。
踏破隊は昭和35年から行われている伝統行事だとか。
なお、山岳俳句で有名な俳人・前田普羅は鼎を訪れ、
塚について書き残しているほかに、こんな句を残しています。
道おしへ藤原獄も遠ざかる
かりがねの余りに高くかへるなり
帰り道で猿の群れに出会うなど、小さな発見のある旅でした。
ここの梅林が有名と聞いて、先日出かけました。
花の盛りは終わっていましたが、遠く藤原岳には
雪が残っており、素晴らしい眺めでした。
この集落には、鼎塚があると聞き、訪ねてみました。
小山ほどもある塚で、なんと関ヶ原の戦いで亡くなった
島津隊の武士たちを弔ったものでした。
西暦1600年、天下分け目の戦いに西軍として
参加していた島津隊は、敗戦が明白となるや、
なんと正にいた東軍の真ん中を突破、南へ・・・
藤原町の鼎を通って故郷の鹿児島へと帰ったのです。
島津隊には多数の犠牲者が出たそうです。
塚はその時の霊を慰めるため鼎の里人が作ったもの。
びっくりしたのは、500年近く経った平成の世に
小中学生からなる「島津関ケ原戦跡踏破隊」が毎年、
夏休みを利用してやって来るとのこと。
踏破隊は昭和35年から行われている伝統行事だとか。
なお、山岳俳句で有名な俳人・前田普羅は鼎を訪れ、
塚について書き残しているほかに、こんな句を残しています。
道おしへ藤原獄も遠ざかる
かりがねの余りに高くかへるなり
帰り道で猿の群れに出会うなど、小さな発見のある旅でした。