575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

流行歌(はやりうた)時代を映して・・・  竹中敬一

2018年01月19日 | Weblog
平成4年に制作した西條八十のテレビ番組で、私は少年時代の憧れの歌手、
二葉あき子と初代コロンビア・ローズに会うことができました。
「夜のプラットフォーム」、「東京のバスガール」など終戦間もなく、
雑音の多いラジオから流れてくる歌声に必死に耳を傾けていた頃から時は流れて…
二葉さんは当時、78歳。コロンビア・ローズさんは58歳。それぞれに、
西條八十の思い出話を語ってもらいましたが、それ以外にも雑談で私にとっては
初めて耳にするようなエピソードを聞かせてもらいました。

二葉さんの芸名は広島駅近くの二葉地区が出身地であり、広島が安芸の国と
言った事からとった話やこれは二葉フアンならよく知られた事らしいのですが、
彼女から私は直接、その話を聞かせてもらいました。
「私はその日(8月6日)、たまたま広島へ帰り、列車に乗っていました。
するとトンネルの中でドカンという物凄い音が聞こえてきたんですね。
後でわかったことですが、それが、原子爆弾だったんです。トンネルの中にいて、
命拾いしたわけです。」

斎藤まつ枝、のちの初代コロンビア・ローズはデビユー当時、西條八十との
出会いについて、こんな話をしてくれました。
「デビュー曲は西條先生の詩ということで、ディレクターに連れられて、
成城の先生のお宅にお邪魔しました。もう群馬県の田舎出身のほんとに
お化粧の方法も知らなくって、宣伝の挨拶状に撮る写真も宣伝部長さんに
お化粧していただいたんですからね。
"幾つ"とおっしやるから、"ハイ、十九です"と言ったら、"決まったね" て。
多分、もうその前に打ち合わせはできてたんだと思いますが、
「娘十九はまだ純情よ」という歌でデビューさせていただきました。」

初代コロンビア・ローズが、コロンビア全国歌謡コンクールで優勝したあと
デビュー前、覆面で昭和26年から約一年間、"ミスCBC"の芸名で
民放第一号のCBCで活躍していたという事は昭和32年入社の私も知りま
せんでした。

その後、テレビのドラマや歌番組に出演するため訪れた贔屓の歌手にテレビ
局内で偶然、出くわしたこともあります。
「湖畔の宿」の高峰三枝子さん。「別れのブルース」の淡谷のり子さん。
いずれも、局内のスタジオに通じるエレベーターの中で。
堂々たる体躯の淡谷のり子さんの横で、私は小さくなって1階から3階まで、
ほんの束の間、二人だけの世界に浸れたことが懐かしく思い出されます。

「別れのブルース」を作詞した藤浦光も西條八十と同様、ヒラメキが早かった
ようで、この歌が出来たことについて、どこかで語っていたのを思い出しました。
なんでも、藤浦光が港を題材にした歌を作詞するため、横浜港を訪れた際、
とある喫茶店に立ち寄り、ウエイトレスに"港が見えるいい場所はありませんか"
と尋ねたところ、彼女から" そこの窓を開けると港が見えますよ"と云はれ、
たちまち、あの詩が浮かんだそうです。

 窓を開ければ 港が見える
 メリケン波止場の灯が見える…

ちょっと、出来すぎ。いや、本当の話です。
こんな話ももう知っている人はすくない、というか絶滅危惧種かも。



写真は私が書いた台本の表紙(平成 4年)


コメント
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