酒田市発行のガイドブックによると河村瑞賢は 江戸時代 「 人口増加に
より米の需要が増した江戸に向け、年貢米を安全に届けるための航路を
開いた人物 」とあります。
酒田市立資料館で見たこの人物に関する資料から、河村瑞賢( 1618 ~
1699 ) は、三重県度会 ( わたらい ) 郡東宮村 ( 現 ・南伊勢町 )の生まれ。
貧農から身を起こし、江戸に出て車夫、人夫頭などを経て、材木商を
営む。明暦の大火( 1657 )に木曽の木材を買い占め巨利を得て豪商に
なったという。
幕府の命令を受け、江戸へ物資を運ぶための東回り、西回りの航路を
開いた。
寛文 12 年 ( 1672 )、幕府の御用商人である河村瑞賢は酒田へ派遣され、
最上川を通じて運ばれた米などの物資を日本海から下関を経て大阪、江戸
へ向かう西回り航路を開発したという。
これによって酒田はこの航路の拠点となったわけです。
私は北前船といえば、日本海沿岸から瀬戸内海を経て大阪までと思って
いましたので、それが瑞賢によって江戸まで航行していたことを知りました。
私は長年 、テレビの報道部門にいて、愛知、岐阜、三重の各地を取材
していますが、河村瑞賢のことは、何も知りませんでした。
南伊勢町の役場に電話してみたところ、出身地でもこの人物を顕彰する
ようになったのは、平成に入ってからのようです。
昭和63年から平成元年にかけて実施された 「 ふるさと創生一億円事業 」で、
南伊勢町は河村瑞賢の生誕地 、東宮 ( とうぐう ) 地区を公園として整備。
関係者が山形県の酒田市を訪問して瑞賢の業績を調べ、日和山公園にある
銅像を参考にして、平成2年、この公園に瑞賢の銅像を建てたということです。
生家などは 残っていないそうです。
私の故郷、福井県小浜市も北前船 ( 千石船 ) の寄港地で、西津地区には
廻船問屋として栄えた豪商 古河屋の別邸が今も残っています。
つづく
写真は山形県酒田市の日和山公園にある河村瑞賢の銅像。
瑞賢は三重県度会郡南伊勢町の生まれ。

江戸時代までは荷物を運ぶには船が一番。
馬など陸上の交通網は発達していませんでした。
それが根本的に変わるのが鉄道と高速道路の建設。
以後、水運は急速に忘れ去られていったようです。
河村瑞賢は今でいったらゼネコンの社長でしょうか?
もっと偉いかも。 遅足