575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

親切な額縁屋さん  竹中敬一

2021年06月21日 | Weblog

 

透析生活に入り、今は名古屋市内の腎クリニックを併設した施設に居ります。

近々、88歳になりますが、無謀にもまだ車を運転しています。

透析のないある日、この辺の地図を見ていたら、割合近くに額縁屋があるので

行ってみることにしました。簡単に行けると思ったら、なかなか辿り着く事が

できず、コンビニの駐車場から額縁屋に電話すると、そこまで行ってあげるとのこと。

まもなく、若い女性の運転する車が現れて、その車の先導でやっと額縁屋に到着

しました。小さいながら瀟洒なお店で若い男の店主がいました。先程の車を運転して

た女性は奥さんと思っていたら、この店の従業員でした。見るからに好感の持てる

2人でした。

私は30年も前に中国の敦煌莫高窟(とんこうばっこうくつ)へ行った折、壁画に描かれた

飛天を模写した版画を現地で買い求めました。表装して額縁に入れて飾ろうと、思って

いて今になりました。

私はその作品の寸法(42㎝横64)を店主に告げると、「やはり、実物を見せてもらった

方が」との事。すると、従業員の女性が私の運転で自宅まで行きましょうと言って、

再び、自宅へ戻り、版画を抱えて額縁屋へとって返しました。

彼女が運転する車の中で私は「この歳で車を手放せないのは、郊外の施設にいる障害を持つ息子の所へ時々、会いに行くためツイツイ」と身の上話を少し喋りました。

2人は額縁のサンプルを幾つか見せてくれ、品定めの上、後日、受け取ることにしました。

私は行動が鈍い上、透析後、突然、ロレツが回らなくなり、思ったことが上手く喋れない

時があります。

こんな私の姿を察してか、従業員の女性が「私が運転して帰ることにしまょう」と言う。

お言葉に甘えて、また自宅まで送ってくれました。

私の駐車場に着くやいなや、お礼をいう間もなく、彼女はサッと小走りに立ち去りました。

きっと、歩いて額縁屋まで帰られたのでしょう。

私は天女が突然、舞い降りてきて、弱々しい私に救いの手を差し伸べ、たちまち天上へ

姿を隠したのでは、そんな思いに駆られ、幸せな気分になりました。竹中敬一

 

 

コメント (2)
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