575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

闘病中の君に贈る  竹中敬一

2022年03月30日 | Weblog

「575の会」に俳句が載らないのが気になって、私の近況でもお伝えしょうと思い、

「闘病中の君に贈る」と題して、拙文を書いていましたが、先日、ブログで奥様が

元気な時はパソコンに向かっているという情報を得てほっとして、取りやめて

いました。再び、書いて拙文を贈ります。

 

先日、「575の会」ブログの「人気記事」の中に私が一年位前に書いた「親切な

額縁屋さん」が載っていて(2021年6月21日分)、当時のことを思い出しました。

今は額縁屋さんが表装して額縁に入れてくれた敦煌莫高窟の飛天の模写をいつも

眺めています。この飛天は盛唐時代のものですが、私は莫高窟初期、北魏時代の

素朴な飛天の方が好きです。

今頃の季節になると、しばし、浮世のことは忘れて額縁をみながら、心の中で

唐時代の漢詩の一節を朗読しています。

「古人 復(ま)た洛城の東に無く

 今人(こんじん) 還(ま)た落花の風に対す

 年年歳歳 花 相似(あいに)たり

 歳歳年年 人 同じからず」「劉希夷(りゅうきい)」

「白頭を悲しむ翁に代る」という題が私にぴったり。

春、洛陽の都では桃や李の花が散って、乙女はその容貌の衰えを嘆くという描写から

始まっています。全編26句からなる7言古詩の中の有名な部分を引用しました。

解説書にはことさら説明することでもないとしてか触れていませんが、「年年歳歳」に

続く「歳歳年年」は同義ながら、入れ替えるだけで見事な効果があります。

漢語の奥深さ、面白さを感じます。

「落花の風に対す」という表現にも感心します。「復(ま)た」は「もう一度、再び」

ということでしょうが、「還(ま)た」は還元という意味があるように思います。

「落花の風」は日本では「久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」

の情景のように、殆ど風を感じないのどかな日にハラハラと桜の花が散ってもよし。

或は「…春の嵐に散りゆく花」のように強風に晒される花吹雪に相対してもよし。

この有名な部分に続けて

「言(げん)を寄す 全盛の紅顔子

 応(まさ)に憐れむべし 半死の白頭翁

 此翁 白頭 直(まさ)に憐れむべし」

歳を重ねると、何があるかわかりません。先日も心不全の疑いで救急病院に入院、

検査の結果、ことなきを得ましたが、88歳の私はまさに「半死の白頭翁」の心境です。

 

 

コメント (3)
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「微熱帯ぶ 夜のホームに 猫の戀 <殿>

2022年03月30日 | Weblog

「微熱帯ぶ 夜のホームに 猫の戀」 A cat's romance at a home on a night with a slight fever.

春の微熱が残っている夜の駅。ホームに甘い猫の聲が響きます。 A night station where a slight fever of spring remains. The voice of a sweet cat echoes in the home.

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