575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

「菊の塵 鶴の杖」

2021年01月09日 | Weblog



斯波園女<しばそのめ>1664年三重県伊勢の生まれ。
神官の度会師貞の娘で医家に嫁ぎます。1690年に晩
年を迎えた松尾芭蕉の門下となり、本格的に俳句を学
びます。まもなく夫と大阪に転居。ちょうど大阪を訪
れた芭蕉を自宅に招いています。その時、芭蕉は園女
の人柄を白菊に例え賞賛しています。しかし、この時、
芭蕉は病いを得ており半月後に鬼籍の人となります。

「白菊の 目に立てゝ見る 塵もなし」<芭蕉>

師匠を失った園女は夫とも死別。1705年 芭門の筆頭
宝井其角を頼り江戸に移ります。其角が主宰する「江
戸座」は江戸俳壇の主流。多くの俳諧師との交流を通
じ、女性ならではのオリジナリティを高めていきます。

「みどり子を 頭巾でだかん 花の春」<園女>

園女は夫より学んだ眼科の医業を営み、江戸女流俳諧
師として活躍しますが、1718年に剃髪して出家。智鏡
尼と号します。そして、歌川広重「名所江戸百景」に
描かれた深川の富岡八幡宮に36本の桜を寄贈。桜並木
は「歌仙桜」と呼ばれ、江戸の人気景勝地になったと
いわれています。

「大根に 実の入る旅の 寒さかな」<園女>

「俳諧師園女の生涯 芭蕉の女弟子」ジャンボール絹子著
には、晩年の芭蕉に師事した園女の生涯が詳細に綴られ
ています。園女は、高価な絹の袖を千切り下駄の鼻緒に
してしまう大雑把な性格。さっぱりとした性分を愛する
江戸っ子に気に入られた理由かもしれません。ちなみに、
拙文のタイトルは園女の編著「菊の塵」と「鶴の杖」

「夜あらしや 太閤様の 桜狩」<園女>

園女の墓所は江東区の雄松院。近年、人気スポットの清澄
白河の清澄公園前にあります。斯波園女。享年62歳


写真と文<殿>
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