575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

いろんな芽     麗

2006年03月16日 | Weblog
昨夜の句会でまたまた色んな芽が出てきました。
「芽であると誰も言わないままである」朱露さんの句が最高点。
含みのある哲学的な句で、とてもいいと思いました。記憶に残る一句になりました。

さて、男性陣に人気の
「初夜明けて木の芽摘みおり割烹着」立雄さんの句。

戦前のモノクロ映画の一場面のようで、
美しい物語が始まりそうですが、なぜか女性陣の得票はなし。
「初夜」も「割烹着」も
今や死語になっているからでしょうか。女の目は厳しいとわかった夜でした。
そして「女体」は俳句になるけれど「男体」はならないという男女の差。
このあたりに俳句の面白さも潜んでいるようです。
来月は「土」が兼題。その頃には昨夜の芽も大きく育っているでしょうね。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金メダルは朱露さんでした。

2006年03月16日 | Weblog
 3月句会の結果です。

御園座の芝居看板春の雪(亜子)○
重い雪庇の水滴春映す(能登)
早春やふくらむ花芽命満ち(麗子)
縞蚯蚓発芽しそうな午さがり(鳥野) ◎
万の芽の黒地の土手を埋め尽くす(愚足) ◎◎○○
胸元の風やわらかく春騒ぐ(童子)◎○○
街中に白マスク増えこぶしの芽(静荷) ○○
ものの芽や女体くさめをするたびに(遅足) ○○
初夜明けて木の芽摘みおり割烹着(立雄) ◎◎○
うららかやヒヤリハットのガス切った?(長良) ○
逆光の辛夷の新芽恋予感(能登)○
芽であると誰も言わないままである(朱露) ◎◎◎○○○
伊予柑をむいて女になりにけり (朱露)
街の灯に群れて少女ら芽吹くかに(立雄) ◎○○
茗荷の芽すっくと立ちぬ石隣(鳥野) ○
花芽立つ空梅林の深呼吸(愚足)  ◎○
たらの芽を揚げて味わう春の妙(麗子) ◎
芽吹き雨街に火をつけ逃げてった(長良)
ものの芽に魔法をかけて雨あがる(亜子) ○○○○
持てあます形状記憶の鉄の口(遅足) ○
誰も摘む人なき海上の令法の芽(静荷)

     

次回は4月12日(水)午後6時 安田屋です。


題詠は「土」です。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月の投句

2006年03月15日 | Weblog
3月の投句が集まりました。
題詠は「芽」です。


御園座の芝居看板春の雪

重い雪庇の水滴春映す

早春やふくらむ花芽命満ち

縞蚯蚓発芽しそうな午さがり

万の芽の黒地の土手を埋め尽くす

胸元の風やわらかく春騒ぐ

街中に白マスク増えこぶしの芽

ものの芽や女体くさめをするたびに

初夜明けて木の芽摘みおり割烹着

うららかやヒヤリハットのガス切った?

逆光の辛夷の新芽恋予感

芽であると誰も言わないままである

伊予柑をむいて女になりにけり

街の灯に群れて少女ら芽吹くかに

茗荷の芽すっくと立ちぬ石隣

花芽立つ空梅林の深呼吸

たらの芽を揚げて味わう春の妙

芽吹き雨街に火をつけ逃げてった

ものの芽に魔法をかけて雨あがる

持てあます形状記憶の鉄の口

誰も摘む人なき海上の令法の芽

    

番外
かの詩より芽生えし想い青き日々(立雄) 
初黄砂花粉興奮春愁い(長良)
校風や早寝早起き朝ごはん(長良)
幼子の並び替えたる官女かな(愚足)
林檎の芽妹に掘られし泣いた午後(童子)




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パラリンの五輪に勝る心意気   長良

2006年03月15日 | Weblog
 トリノの五輪が終了し、今はパラリンピックが開かれている。
 日本人選手の大活躍が報じられている。

             

 各選手は大したものだが、彼らを支えている人達(裏方)の努力には
 頭が下がる。
                     
 
 不思議に感じるのはなぜ五輪の後にパラリンピックが開かれるのでしょうか?
 だれか教えて下さい。
 
 時には逆でもいいのではないかしら、隔回でもいいから…。 



 全く別に、スペシャルオリンピックス(SO)という大会もある。

                        

 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写生とは?

2006年03月14日 | Weblog
NHK俳句を見ていたら、講師の矢島渚男さんが
写生について次のようなことを言っていました。

 写生とは対象から
 新しい言葉を引き出してくること。

なるほど!
感心して、目の前の落葉松林を見つめました。
しかし、一向に新しい言葉は出てきませんでした。

 写生って難しいんだ!

     


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

このごろは絵筆をとらず春逝きぬ     コンラッド・メイリ

2006年03月13日 | Weblog
 写生と言えば画家が気になる。
 画家で俳句をする人は多いと聞く。

 気になったのが、スイス人の「コンラッド・メイリ」。
 スイス人画家で夫人はフランス系の日本人。二人は二次大戦直前に日本の観光局に招かれ来日する。戦争で帰国出来なくなり、戦時中の鎌倉で帰国を待つ。その間
日本の学生に絵を教えるがスパイ容疑で留置され虐待を受け夫人共々身体を壊して釈放。1949年に帰国。ヨーロッバで日本文化とりわけ俳句の理解に貢献する。
 彼は、来日前からの親日派画家で渡欧中の虚子にも会い句作をよくしたと言う。彼の句には、タイトルの句のほか
  とらわれの記念日寒く菊の雨
  紅葉に故国の旗の色思ふ
  法師蝉帰国思へば遠く鳴き
など境涯を詠んだ句ガ多く
  遊船の冬暖かきパリの旅
  雲と住む峠の池の蛙の子
  レマン湖のかたえの庵菊根分
  つかの間の雹や葡萄の花を摧く
などがある。
 帰国に際し、戦時中の屈辱ばかりでなく、日本の誇りと美しさの自覚を訴えた
と言う。                  
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

凡才が盆栽評す盆梅展   長良

2006年03月12日 | Weblog
 岐阜県・安八町に「百梅園」という梅の名所があります。
 8年前に開園、128種1000本を越えるそうです。
 今週からが見頃でしょうか。
  (詳しくはNetで『百梅園』で検索してね)
                          

 観梅もさることながら、売店の「よもぎうどん」生 天然よもぎ入りは
 実においしい。

 また、この辺りを流れる、中須川堤防には1000本桜といわれ、知る人ぞ知る
 名所。今月下旬には大桜花となるでしょう。
 
                            
   梅桜うどんも美味し安八町   長良 

      
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「鳥の巣に鳥が入ってゆくところ」      波多野爽波

2006年03月11日 | Weblog
再び「本当に名句なのか?」(俳句2月号)より
 
 小学生に見たままを5・7・5で書きなさいといって、鳥が巣に入ってゆく所をビデオで見せます。
 それから「鳥の巣に鳥が入ってゆくところ」の句を見せて感想を聞いたとするときつと「なーんだ そのまんまだーー。 それでいいの?」と言うと思います。

 この句を担当した高橋修宏氏は「写生が写生を超える瞬間とはこのような句に潜むのかもしれない。」と言い川名大氏は「狙い澄ましたような俳句的視角によって様々な写生の対象を闊達に切り取るところに独特の俳味があり作者の個性的な特色ともなっている。」と高く評価しています。
 が、私にとっては、名句とは逆立ちしても思えません。
 この方には、皆様ご存知の名句「金魚玉とり落としなば舗道の花」がありますよねー。皆様の評価はいかがですか。 愚足
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

卒業のたびに行方をくらましぬ  朱露

2006年03月10日 | Weblog

先生と勉強と部活動が堪え難かった。

特に高校の三年間はうわの空だった。

人にあれこれ教わるのが嫌なわけだ。

卒業式にはいたけれど「生ける屍」。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅立ち  麗

2006年03月09日 | Weblog
長かった今年の冬もようやく終わりを告げたようです。
昨日、庭の梅がやっと一輪開花しました。

さて、卒業シーズンです。
先日中学校の卒業式に出た知り合いの先輩アナウンサーから聞いたお話。
校長の祝辞も来賓の祝辞ももう少し心のこもったスピーチが
できないものかと嘆いていました。
極めつけは来賓紹介の場面。
「○○市会議員」と、肩書きが紹介されると皆一様にその場で立ち上がって
「おめでとうございます!」というそうです。
そのたった一言でも素っ頓狂な
声だったり、ぼそぼそ声だったり、とちったりうまく
挨拶できないそうです。
日本人の苦手なスピーチや挨拶。
最近は小、中学校で、3分間スピーチの授業があったりするそうです。
その子たちが大人になったときは少しは式典の雰囲気も変わるかもしれませんね。

家の隣の公園にウグイスがやってきました。まだまだ鳴き方がへたくそですが
もうすぐ上手な鳴き声になることでしょう。自然も人間も巣立ちの季節ですね。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春の舞貞奴花子海渡る   長良

2006年03月08日 | Weblog
 先日、花子に関する講演と記念の演奏会がありました。

 貞奴と花子はほぼ100年前に欧米に渡り、貞奴は日本最初の女優として

 名声を博し、花子は欧米18ヶ国を巡業してスーパースターとなりました。
                                                                  ピカソが貞奴を描き、ロダンは花子の面像を58体も作った。

 欧米では当時から二人の演技を褒め称えたというが、日本国内では極めて低い評価だった。

 二人とも芸者であったという理由があるとか…。

貞奴と花子が日本国内で評価されたのは、かなり新しい研究によるものらしい。

 
 花子が実際使っていた三味線を弾き、当時の舞、それらを偲ぶシャンソン

 などが披露された。    

 花子の波乱に富んだ生涯を想うにはいいイベントだった。   
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

俳句の秘法

2006年03月07日 | Weblog

 雛道具ぴんと張られし琴の糸  

草木洋子さんの句集「雛道具」から。
この句集の序に伊藤敬子さんが書いていること。

 この句に出会った時、作者は俳句が分ってきたことを実感した。
 というのは、俳句に於ける省略の手法は、
 それを生かすことによって、対象を浮かび上がらせることと、
 対象の把握と表現という高度の秘法がここに披瀝されていたからである。

ちょっと分りにくい表現ですが、要するに
省略によって対象を浮かび上がらせるのが俳句の秘法と
言っているのでしょうか?

一方、秘法が見られないとされた同じ作者の句

 春光や雲に乗りたき心地あり

これは栗田やすしさんの指摘ですが、確かにどこかが違いますね。

 (今日の中日新聞「中部の文芸」欄より。遅足)



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甘草の芽のとびとびのひとならび     高野素十

2006年03月06日 | Weblog
 俳句雑誌に「本当に名句?」なる特集があった。
 タイトルの句も俎上にのせられていた。恐々見たが少なくとも景が読めない句ではなくて安心した。
 しかし 次に何故問題なのかが分からなくてガッカリした。この句への評価は
曰く
  〇虚子の普遍性の対極にある主観の極みだ。 
  〇作者の主観を季題に託し、いかに客観的に伝えられるかの客観写生の技。
  〇言葉が弾みすぎ、いかにも軽薄なリズムに浮き立っている。
  〇技術と演出の極みとも言える句だ。
  〇写生・擬態法という両極の手法を統一した表現を駆使した句の限界への挑戦
等々
 やはり俳句一年生にはちんぷんかんぷん。 俳句で食ってる人は違いますな。
                         
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

探梅や兵士の墓に行き当たる  遅足

2006年03月05日 | Weblog
貴様と俺とは同期の桜・・・という歌があった。
戦場で潔く散ることを歌ったとか。

エリートの将校などは、ともかく一般の兵士、
特に農村からの出征兵士には、桜より、
寒さに耐えて咲く梅のほうが似合うような気がする。

叔父は中国戦線で機関銃掃射にあって戦死。
お墓は、ぽつんと一つだけ、西を向いていた。

     

そういえば、同期の桜、最近聞かない。
歌う人たちが死んじゃったのか?
もう、歌としての魅力がなくなったのか?
いずれにせよ、時代が変わったらしい。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春眠や沖へ出る舟帰る舟

2006年03月04日 | Weblog

俳句をシャドウボクシングに譬えた。

すると私の相手は何と12才の私だ。

こいつが一番強くて懐かしいヤツだ。

結局この男の記憶に打ちのめされた。 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする