575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

12月の投句がそろいました。  遅足

2006年12月20日 | Weblog
題詠「北風」

北風に押されて電飾ハンティング
北風にサッチモドレミファジャズるかな
北風の街に募金の子ら立てり
北風と今朝も颯爽あの女将
北風の窓打つ音や午前二時
北風が魔法をかける吹きだまり
ここならば北風の骨ひろえそう
北風の色攫いゆく欅道
北風や包む母の手安堵の手
北風やない袖ふれぬ昨日今日
北風やまん丸の鳩寄り添いて
北風に列島の灯ら揺らぎけり
北風につとあご上げて天青し


自由題

散紅葉被きて座(おわ)す崩(く)え仏
厨房に夫入りきたる歳の暮
しぐるるや身を寄せ合える道祖神
街灯に昨日を残し冬の朝
今日も吉弁当の玉子焼きの出来
朝霜や護摩焚く僧の顔赤し
そしてまたいつものあなた枇杷の花
煤払う弥勒菩薩のうす笑い
あれこれと髪細くなり十二月
原点はどこかと風に聞いてみる
冬日和妻縫いぐるみの犬を買う
幼子は地を跳ぶ凧に振り向かず
冥府より我を招くや虎落笛


番外
猫の耳片方クルリとまわりけり(童子)

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東山動物園のリス

2006年12月19日 | Weblog








東山動物園に行ってきました。
リスや小鳥が放し飼いになっているところです。

リスは、どうもリュックが気になるらしく、
妻のリュックにのってきました。
リュックと背中の間に入り込もうとします。

何匹かいるのですが、リュックに関心を
もっているリスは一匹らしいのですが。
みな同じに見えるので、よくワカリマセン・・・

どうしてなんでしょうね?
美味しいものでも隠してあると思ったのでしょうか?

                   遅足




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困ったときのクイズ頼み。        愚足

2006年12月18日 | Weblog
 歳を取ったせいか、師走のせいか日めくりが落ち葉のように飛んでいく。
 投稿と締め切りが重なった月曜日。困った時のクイズ頼み、お粗末。

 次の句にピッタリの言葉を(・・・・)から選んでください。

 第一グループ ( 蝉  蟻  蜂 )

 ① 絹の上の○○は響を持たざりき      加藤楸邨
 ② ○○が来るたび紅型の布乾く       横山白虹
 ③ 迷ひ○○家筒抜けてまた青田       茨木晶子

 第二グループ ( 天使 女  男 )

  ① ○○の倦怠がちらちら雪をふらすそのようにおもふ  中塚一碧楼
 ② ○○老いて○○を愛す葛の花               永田耕衣
 ③ 日出ヅル国ノ○○ノ乱レ髪                 夏石番矢

      
    
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北風   12月の句会近づく

2006年12月17日 | Weblog

写真は滋賀県にある岩間寺です。
冬の雨の降る日でした。
北風が落とした銀杏の葉がきれいでした。

    

題は北風。

きたかぜ。俳句では、単に「きた」とも読みます。
季語になったのは比較的新しく、大正・昭和から。
日本海側は雪。太平洋側では空っ風。
ふたつの顔を持っている風ですが、
太平洋側の句が多いようです。

  北風にたちむかふ身をほそめけり  木下夕爾

まさに北風といった句ですね。


  獄の門出て北風に背を押さる  秋元不死男

北風という季語が、これからの人生を暗示しているようです。


  北風やここまでくるとみな背き  高柳重信

北風という季語の本意を少しずらした軽妙なおかしさが感じられます。


  昇降機北風詰めてまた上へ  林翔

都会の北風をみごとに掬いあげた句です。

    

みなさんの句は、どんな北風でしょうか。楽しみです。


締め切りは「いちおう」18日いっぱいです。
多少遅れても構いません。
               
                遅足



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厚着の子学校へ行く音幽か   朱露

2006年12月16日 | Weblog

   父兄も先生も何も言っていないのに、
   「教育基本法」を変えたい人がいる。
   そのうちに「男女共学」もダメだね。
   ダンジョキョウガク!驚愕したなあ!
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星の話に仲間入り     鳥野

2006年12月15日 | Weblog
ロマンいっぱいの☆の話題、私も仲間入りして一句を、と思うのですが、俳句はやっぱり難しい、手が届きません。

吾が乙女座(婆々座ではなくて)の主星はスピカ。晩春のころ北空に白く清らかな輝きを見せ始める一等星です。
距離は250光年、「春の夫婦星」と言われているアルクトゥルスとは6万年後には寄り添えるそうです。
現在、秒速125キロメートルの猛スピードでで移動中というから、壮大な話です。



 吾が星のスピカが北に昇り来ぬ春はゆくらし闌けきらぬまま

 二万度の熱にたぎりてなお白しスピカの光芒羨(とも)しと仰ぐ

 遥かなるスピカの配信捉えしか猫は小耳を空にたており

           <俳句は無理、短歌の習作でごめんなさい>

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シリウスの光  麗

2006年12月14日 | Weblog
毎日新聞に「佐治博士の不思議な世界」
という週1回のコラムがあります。宇宙物理学の先生なのですが
今、夜空に輝くオリオン座の姿は数百年前の姿だと書いていました。
そしてひときわ明るいシリウスは約10年前の姿だと。

星を見上げるという行為は、遠い所から近くまでの空間の広がりと
過去から現在までの時間の厚みを凝縮して見ているそうです。

「過去を現在に見る」というこの不思議。
もう存在していない星の光を私たちは見ることもあるのですね。

       シリウスの光は冬の時を越え  麗
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続 金子兜太さんの句

2006年12月13日 | Weblog
 金子兜太さんの句の続きです。

   

朝はじまる海へ突込む鴎の死

人生冴えて幼稚園より深夜の曲

華麗な墓原女陰あらはに村眠り

人体冷えて東北白い花盛り

霧の村石を投(ほう)らば父母散らん

最果ての赤鼻の赤魔羅の岩群

暗黒や関東平野に火事一つ

谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな

梅咲いて庭中に青鮫が来ている
   
猪(しし)が来て空気を食べる春の峠

    


現在、俳人のなかで、ある意味で一番信頼できる人と思いますが、
もう少し分かりやすい句が多いといいのに。

                      (遅足)




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難解句の読み方

2006年12月12日 | Weblog
梅咲いて庭中に青鮫が来ている  金子兜太

文字通り読めば、梅が咲いて庭中に青鮫が来ている、という意味です。
青鮫は熱帯の海にいます。背中は暗青色、腹部は白、精悍なイメージです。
そんな青鮫がいつの間にか海となった庭を泳ぎまわっている。
梅の花に青鮫という、とんでもない取り合わせですが、鮮烈なイメージです。
あとは、自由にそのイメージを楽しめるかどうか?でしょうか。

俳句の読み方は、第一に一語一語に忠実に句の意味を読み取る。
第二に想像力を働かせて自由に味わう。

(岸本尚毅の俳句の一問一答より)



ある本を読んでいたら金子兜太さんが
これまでの自作のなかで、好きな句を紹介していました。
想像力を働かせて楽しんで下さい。

蛾のまなこ赤光なれば海を恋ふ

水脈の果炎天の墓碑を置きて去る

彎曲し火傷し爆心地のマラソン

        (遅足)
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「推敲」                愚足

2006年12月11日 | Weblog
 推敲の仕方について岸本尚毅氏が「俳句一問一答」で次の様に述べています。

① 自分の句を他人の句のように眺めることが推敲の極意である。

② その場合、俳句の目的が、作者の体験を伝える事よりも、読み手に快い読後感を与える事にあると肝に銘じて考えるべきである。

③ 従って推敲の第一歩は、作者の視点から、読者の視点へと頭を切り替える事。

④ その為には出来た句を一つ書いて睨んでいるのではなくて、多少内容・表現が
変わっても同種の複数の句案を並べて、見比べることが大切である。

 そして、富安風生の示した「原案」「推敲」の実例を挙げています。

 原・・一塵の蜻蛉の高し峡の空
 推・・蜻蛉の一微の高き峡の空

 原・・八十路ゆく齢よろめく冬籠
 推・・八十路ふむ齢よろめく冬籠

 原・・鈴虫の甕はむくろもなくむなし
 推・・鈴虫の甕はむくろもなくうつろ

 そう言われれば後の句のほうが良さそうなのだが、明快に理由を述べよと言われると困ってしまうのだ。それに②の目的にも疑問が残るのだが。
            
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降りしきる幾千万の雪だるま  和田誠

2006年12月10日 | Weblog

ひさしぶりの青空。北の国から雪の便りも。
でも飛騨のスキー場ではまだ雨の冬。
人工雪のスキー場開きのニュースもありました。

イラストレーターの和田誠さんの句です。
句集のタイトルは「白い嘘」
ホワイト・ライ
他愛も無い嘘ということだそうです。

(詩心・中西進 中公新書より)


             遅足


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木枯よセンチメンタルジャーニーよ   朱露

2006年12月09日 | Weblog









   「海に出て木枯帰るところなし」誓子。
   木枯は帰らないが兵士は帰るつもりだ。
   帰るつもりの若者は殆ど死んでしまう。
   木枯は帰るつもりなんかない紋次郎だ。


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いやだヨー、そんなノー       鳥野

2006年12月08日 | Weblog
栄のバス停、バスを待つ人が列をつくって、退屈そうです。
そこえ突然、若い女性の大きな声。

 「イヤだよゥー、そんなのー」

 「・・・」

 「どうして、どうして、そうなるのー、イヤーン」

だんだん鼻声になってきます。みんなが、声の方へ振り向きはじめます。
そう、相手はケイタイです。

 「ホントのこと言ってヨ」

 「・・・」

口調は次第に激しくなって、

 「ほんとのコト言えよ、言えったら、今なにしてるんだヨー」

そこらあたりで、バスが到着。
その娘さんもも、列の後につきました。けろっとして。

声優さん顔負けのせりふ、迫真の演技、観客大勢。
その一人、鳥野氏も暇人ですねー。

<美しい日本>を目指している間に、しだいに<楽しい日本>になってきて、ご同慶。

この若者たちも、中年になるころには、「俳句でもー」と考えはじめるのかしら。

  この景で一句。無理ですね。


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人生で一番いい言葉   麗

2006年12月07日 | Weblog
「芋たこなんきん」を毎日楽しみにしている麗です。
原作者、田辺聖子さんがエッセイの中で、
人生で一番いい言葉は、関西弁の

    「ほな」

であると書いています。席を起つ(これは人生の席においても)
時の別れ際の挨拶。
「ほんならこれで失礼します。皆さんお先に。」

何ともいえぬ軽やかさ、こういう風に人生の幕引きを
迎えたいという意味のようです。

先日大阪に帰った時、電車内で隣合わせた中年の女性二人が
別れ際に確かに「ほな!」と言って電車を降りていきました。
思わず笑ってしまいました。
私も20年前は「ほなね」とか「ほなな」と言って友人たちと別れていたのに
名古屋に来てからはこんな大事な言葉を忘れていました。
ちょっと自分を取り戻した感じでした。

                ほな、また来週!
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続 俳句とワイン

2006年12月06日 | Weblog
俳句をワインに喩えた文の続きです。


雀の子そこのけそこのけ御馬が通る 一茶

南仏最高の赤「エルミタージュ」
肉体的で重厚ですが、熟成すると人を感動させるような
繊細さと優しさが滲みます。


柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 子規

ボルドー赤の不動の傑作「シャトー・ラトゥール」
近代的なワインであるボルドーの中でも最も渋みの伝統を継承。


みづうみのみなとのなつのみじかけれ 田中裕明

ボルドーの赤の妃「シャトー・マルゴー」
知る人ぞ知る最高のエレガンス。ショパンの夜想曲のように
安易な曲かと思えば、いつの間にか終りのない旅に連れてゆかれる。


本の著者はマブソン青眼さん。俳人で比較文学者。
長野に住み、一茶の研究をしているフランス人です。

青眼さんによると、伝統あるフランスのワインは
葡萄の品種を1つか2つ、多くても3つしか使わないそうです。
ブルゴーニュの赤は、ピノ・ノワールという1つの品種しか使わず、
醸造者は複数の品種をブレンドして自分の感性を表現することは出来ません。
その代わり、2000年前から伝わる様々な畑の特徴を生かし、
葡萄本来の味を超えた風土の味を出すようにするのだそうです。

俳句をワインで喩えるなんて!考えたこともありませんでした。
さすがフランス人ですね。

                    遅足


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