575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

立春2   麗

2009年02月05日 | Weblog
昨日は立春でした。
病院近くを通りかかったら生まれたての赤ちゃんがおばあちゃんに抱かれて
退院する場面に遭遇。
インフルエンザを警戒してか、家族はマスク姿。
赤ちゃんはおくるみの中でねんね。
春らしい風景に心が温まりました。産婦人科医不足はあってはいけません。

    立春や新生児の目まぶしそう  麗
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立春  遅足

2009年02月04日 | Weblog
今日は立春。暦のうえの春。

伊豆半島の修善寺に行ってきました。
梅林の梅は、もう五分咲き。
残念ながら富士山はうっすらと見える程度。
でも暖かくて、汗ばむほどでした。
本当に春が来たようでした。

一句追加です。

  立春を横目でにらむ目玉焼き

帰りの昼食を沼津の魚市場にある寿司屋さんで。
おまかせ7種の寿司のなかに、大きな玉子焼きも。








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季語を散りばめて      愚足

2009年02月04日 | Weblog
 私たちの世代、さだまさしファンは多い。
 グレープの頃の彼らの歌は他のフォークと一線を画していた。
 その情緒めんめんの歌詞を嫌う人たちもあったが、私や連れ合いは大好きでレコードアルバムを子供たちが寝付いてから二人でよく聴いたものである。
 なんといっても人の別れの哀しみを季節や日本的な風景、催事を取り込んでの歌詞に陶酔したものである。
 俳句をかじり始めた今、彼のCDを聴くたびに歌詞にちりばめられた季語の多さに驚くのである。一例をあげると「線香花火」という歌の一節は次のようである。 

きみの浴衣の帯に ホタルが一匹とまる
露草模様を 信じたんだね
きみへの目かくしみたいに 両手でそっとつつむ
くすり指から するりと逃げる
きみの線香花火を 持つ手が震える

揺らしちゃ駄目だよ いってるそばから
火玉がぽとりと落ちて ジュッ 

では一句・・・露草の帯にとまりし蛍かな    ぐ
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静寂のダム湖    鳥野

2009年02月03日 | Weblog
もう昨年のことになります。晩秋、徳山ダムが満水になったと聞いて、出かけました。

湖底に沈められた徳山村、寸断された伝統、住み慣れた地を追われた人たち、悲しさや悔しさを思えば、観光気分どころではない。ためらっていました。

が、折りよく”富有柿を買いに道の駅にでも行こうか”という夫妻があって、足を延ばしてもらいました。

揖斐川沿いの道は、里山をいくつか越えて、奥へと続きます。山裾には集落の跡地も散在していました。

付け替えで整備された、すばらしい道路が現れるとダムは間近、コンクリートずくめの別世界です。

堰堤は行き届いた遊歩道、日本一の広さという湖が一望できます。

計画から50年余、無駄遣いだ、時代遅れの愚挙だ、と反対されながら、遂に完成したダム事業。ダム湖は徳山湖と呼ばれます。

「お国が決めたことだもの、どうせ止めはしないよ」と言いながらピッカリコニカで、村の生活を撮リ続けた増山たづ子さんも亡くなりました。

”沈まないでくれ”と児童が太い字で書いた、あの徳山小の黒板も今は湖底です。

   ・ 声のなき叫びを沈めし徳山湖黒き水皺の深き寂しさ

   ・ 水底となりたる村の山裾に灯ともすごと柿の熟せり

                         鳥野


 
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息子からガザの子供に早春花     愚足

2009年02月02日 | Weblog
 昨夜、三十半ばを超えた息子が帰るなり、平和護憲のブログに投稿の書き込みをしていた私の部屋にのっそり入ってきて、花束らしき物をくれた。
 「一日早いスけど、誕生日ですよね。」・・・言われた私は、一瞬戸惑って「あっどうも。」と言った。
 見てみると白を基調にした花をうまく配置したた地味だが品のある花束であった。
 しばらく眺めてから妻に花瓶に入れてもらおうとキッチンに行った。
 妻は驚いて「へーあなたにねえ・・・」と言う。
 妻は誕生日毎に花束をもらっていて楽しみにもしている。
 花瓶に移しているとところに息子が顔を出して、「その花束・・平和という花束だそうス。」と言って出て行った。
 私は部屋に花瓶を置いて、改めて眺めた。

 しばらく考えてから、パソコンに保存していたパレスチナの子供の痛ましい写真に花束を贈ることにした。
 そして、六十六歳でもらったこの花束も、一緒に写したパレスチナの子供も終生忘れないだろうと思った。

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噴水や戦後の男指やさし  寺田京子

2009年02月01日 | Weblog
「なんだコリャ俳句」より。

☆ 戦争中、噴水は水を噴き上げることもなかった。
戦後になって、民主主義とともに、噴水は噴出した。
また、戦争中、男は敬礼など、戦争のために手を使っていた。
それが戦後には女の腰に回したり、女の荷物を持つように。
女を愛撫する手となった。
民主主義=噴水=男の指のやさしさ。

○ なんでも優しければ良い訳ではない。
やさしくされたくない男もいるわよ。

○ 戦後の男、というとイデオロギー的なところもあるが、
フェミニンなところへ持っていったのが良い。
指のやさしさ、と直接、つなげた点がカッコイイ。

○ 男がカッコイイというより、そう感ずる女がかっこいい。

     is best.

戦争は男も女も不幸にしますね。
男の指が二度と銃の引き金を引かないように、という
戦後の誓いは忘れたくないものです。

                  遅


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