575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

野分あと   麗

2011年09月22日 | Weblog
東海地方からは去って行った台風15号。
各地で被害をもたらしましたが今日は秋の空気に包まれています。

野分あとには色んな音が聞こえて来ます。
元気な挨拶の声。
台風で飛び散った落ち葉を掃く音、順延になっていた幼稚園の運動会の
音楽や先生の声がスピーカーから。
家の中では洗濯機ががんがん回る。

停滞していた物が一気に動き出した感じです。
昨日は575の会初めての休会で今頃遅足さんは
メールや手紙で集まってきた選句をまとめておられることでしょう。
お手数おかけします。どうぞよろしくお願いします。

   野分あと色んな音がリズミカル    麗
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嵐来て五十娘に電話する    朱露

2011年09月22日 | Weblog
     こんなことでもないと話しをしない。
     思えば三人の息子共とも殆ど話さぬ。
     女房も当然私の無口に順応して無口。
     アナウンサーだったのが不可解至極。

                 



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空壜のなかの台風見ておりぬ   遅足

2011年09月21日 | Weblog
船団・小枝ドクターの診断です。 

居酒屋の裏などに乱雑に置かれた空壜に
台風の風雨が容赦なく当たっている光景。
それを空壜の外でなく、
「なかの台風」としたところが詩的でした。
とろとろと通過する台風のいいようのない
息苦しさなど想像できます。

ありがとうございます。

今日の句会は、台風15号の飛び入り参加でお休みに。
575の会では初めてのお休みです。

これから台風の影響が出てくるところも多いと思います。
十分に気をつけてください。

なお、選句がまとまり次第、報告します。

                    遅足



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朝刊を丹念に読む秋の雨    朱露

2011年09月20日 | Weblog
     私は新聞を丹念に読んだことがない。
     雑誌も一生懸命に読んだことがない。
     出来れば本も本当は読みたくはない。
     たまに面白い本があるので困るのだ。

              



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9月句会の投句が集まりました。    遅足

2011年09月19日 | Weblog
今回の題詠はコスモス、秋桜です。
力作が揃いました。
どの句が当日の句会の風に戦ぐのでしょうか?
楽しみです。


題詠「コスモス」

①秋桜を遣り過ごしたる男かな
②ほどほどにコスモスの揺る野分あと
③秋桜(あきざくら)も一度占い花吹雪
④コスモスやわたくしはいま何色ぞ
⑤高原のコスモスにただ抱かれる
⑥コスモスや風がくすぐるみぎひだり
⑦コスモスはやせっぽっち赤毛のアン
⑧コスモスのゆれる合間に見えし面
⑨コスモスの咲かぬ死の街死の田畑
⑩コスモスをかき分け分けて深呼吸
⑪風を待ち風にあらがふ秋桜
⑫コスモスの沖をすぎゆく風の使者
⑬コスモスやふるさとへ揺れ彷徨うて
⑭コスモスの咲き乱れても淋しかろ


自由題
 
①今日もまたかくてありけり秋の風
②名月や月下美人は交信す
③単語もて返事してゐる残暑かな
④「津波坂」地滑り危機に天畏る
⑤大寺の真ん満月は屋根に盛り
⑥蜘蛛の巣や二百十日を横に見て
⑦ポニーテール揺れてゆかしき山の萩
⑧秋風のはや濯ぎたる梢かな
⑨裁縫の苦手な少女居待月
⑩へちま忌やゴーヤ口裂け高わらひ
⑪打ち水やひょいと止まれり糸蜻蛉
⑫もも色に猫の舌あり秋の風
⑬ひらひらと糸一本の秋簾

句会は21日、午後1時。東鮨です。
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鵯を撃っては食って戦負け    朱露

2011年09月19日 | Weblog
     ヒヨドリは卑しい鳥ではなく美味い。
     敗戦の年の秋空気銃で撃っては食う。
     そして66年鵯のことは忘れていた。
     この秋多米の蜜柑畑で見て涙が出た。

               


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桜と蛇と  鳥野

2011年09月18日 | Weblog
いまさらに取り上げるのが、おかしな具合。
と思えるほどに、すっかり常連です。

「中日歌壇」の小島ゆかり選に、松田宗匠がまたまた入選。

・ ふるさとは夢も帰れぬみちのくの津波のまえの桜さく道

小島ゆかり選評。”哀しいひびきが静かに胸に沁みる”

 鳥野としては、心底かなしい作品だと、打たれました。最小限の漢字遣い、マスコミに連日登場する被災に関する表現は一切なし。
 それ故にいっそう哀しいのです。

☆ ブログ当番のために、ここまで原稿を書いておいた矢先の8日(日)の
   中日歌壇に再び松田宗匠のお名前が。連打です。

 ・ コンクリートの溝に晩夏の流れあり首濡らさずに泳ぐくちなわ

小島ゆかり選評。”映像の捉え方にいつも詩的センスを発揮する作者。蛇(くちなわ)は頭部をくっと持ち上げたまま、すべるように泳ぐ。上句と下句の呼応がすばらしい”

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まだなにもせぬにいのちのあくびかな   遅足

2011年09月17日 | Weblog
船団・岡野ドクターです。

これは生後すぐの赤ん坊だと思います、そうですよね。
たしかに赤ん坊のあくびは、こんな感じ。
「いのちのあくび」とは素敵な表現です。
本来あくびが背負っている、生きる上での諸事から
まったく解放されている、赤ん坊のあくび。
それだけに、その純粋性がいのちを思わせるのでしょう。
調べも淀みなく、切れ字「かな」もこう使われると文句ありません。
あっ、無季の句なんですね。

ありがとうございます。
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京都のお菓子を訪ねて    遅足

2011年09月16日 | Weblog
今回は、京都市上京区にある上御霊神社の門前、
水田玉雲堂で売っている「唐板煎餅」。
由緒は平安時代までさかのぼるそうです。

        

昔、平安京を次々と襲う疫病などの災い。
原因は、恨みを呑んで死んだ怨霊の仕業と考えられ、
天皇は、御霊会を催し怨霊をなだめました。
この御霊会が、上御霊神社の前身。
祀られているのは、崇道天皇(早良親王)など、権力争いに敗れた皇族たち。
神社には庶民は祀られていません。
庶民には、恨みを呑んで死んでも祟るパワーはなかったようですね。

御霊会で、神前に捧げられたお菓子が「唐板煎餅」の前身。
この煎餅を口にすれば厄病除けになると信じられたのです。

その後、応仁の乱で京の町が荒廃。
御霊会も廃れ、煎餅も姿を消してしまいました。

平和が戻り、上御霊神社の一角に、煎餅を焼く店が登場。
これが水田玉雲堂だそうです。
以後、数百年、昔ながらの製法を守って煎餅を焼いてきたそうです。

この煎餅、短冊の形。 原材料は、小麦粉、砂糖、鶏卵。
口に入れると、薄くパリパリっとした歯触り。
味は、実にシンプル。口の中で溶けた時の味わいはカステラに近い。
一度、お勧めの味です。

以下は蛇足です。

京の町を荒廃させた応仁の乱。
室町時代に、畠山一族の内紛がきっかけで始まりましたが、
その戦いは、上御霊神社の境内の森で始まったとのこと。
応仁の乱発祥の地と、書かれた立て札が立っていました。

応仁の乱以降、日本は高度経済成長期に入りました。
それに伴って、人間の力が増し、神々や怨霊のパワーが弱くなります。
怨霊も畏れられるものから、恐くて滑稽なものへと変貌していきました。
いまだに心霊写真というものが信じられているのも、
現代人のココロのなかに、怨霊が生き続けている証拠でしょうか。



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流星の使ひきれざる空の丈    鷹羽狩行

2011年09月15日 | Weblog
私の好きな句です。
流れ星は秋の季語。走り星、星飛ぶ、星走る、夜這星とも。
夜這い星とは面白いネーミングですね。

「流れ星が消えない間に願い事を言えばかなえられる」
一回ではなく3回唱える、という人もいます。
よく耳にすることです。
なぜなのか?は、知りませんでした。

昔の人は、空はドームと考えていました。
そして人間はドームの内側に、
神々はその外に住むと、考えていたそうです。

星は、ドームに開いた穴から洩れる神の世界の光。
神が人間界を覗こうとつくった裂け目が流星。
したがって、神が覗いているうちに願い事を訴えれば
聞き届けてもらえる、と考えたわけです。

   流星のひとつとなって滑り台   遅足

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陽が昇り虫の音高くひと気なし    朱露

2011年09月15日 | Weblog
   九月十五日午前六時快晴無風文句なし。
   人の気配は新聞配達と私だけの寂しさ。
   昨夜東で輝いていた満月が西で白ける。
   寝ている間に何事が起きたというのだ。

              



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コスモス句会近づく    遅足

2011年09月14日 | Weblog
  コスモスの花が明るく咲きめぐり私が居らねば誰も居ぬ家

最近、亡くなった河野裕子さんの歌。
京都の岩倉にある家の庭には、コスモスの花が一杯。
河野さん亡き後の庭にも咲いていることでしょう。

  しつかりと飯を食わせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ
 
  たったこれだけの家族であるよ子を二人あひだにおきて山道のぼる

と、詠んだように家族をとても大切にした人です。

  コスモスや妻がやさしく子がやさしく

これは日野草城の句。
草城は、後半生、病を得て寝たきりの生活でした。
コスモスの句にはやさしい家族が詠まれています。

             

今回の題詠は「コスモス」です。
みなさんのコスモスは、どんな花を咲かせるのでしょうか?
楽しみです。

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酷暑の花  鳥野  

2011年09月13日 | Weblog
酷暑に挑むがごとくに咲き誇っていた百日紅もようやく終末期。
それでも未だ残りの花の色は衰えていません。

指の先ほどの可憐な花は、縮緬細工のようにちぢれて軽ろやか。

花の少ない真夏を彩って貴重な筈が、なにしろ暑苦しい。

「百日紅」と書いてサルスベリ。なんの抵抗もなく読み替える
日本語って、すごい。と今更につくづく感心しています。

 ・ さるすべり 百日紅くなお紅く飽かず未だに太陽を恋う

                     鳥野
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北窓は一面の山秋の声    朱露

2011年09月12日 | Weblog
    これは昔の風景で今は家だらけ。
    「秋の声」は秋を感じさせる音。
    朝っぱらから車だらけの県道だ。
    ここへ来た三十年前は別の所だ。

            

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仲秋の名月     遅足

2011年09月12日 | Weblog
今日は仲秋の名月。
名古屋の空は、雲も顔を出すそうですが
まず名月は見られるとのことです。
まだまだ、残暑が厳しく、秋には遠い日中ですが、
夜ともなれば、秋が満喫できそうです。

            

月を詠んだ句は数え切れませんが、こんな句があります。

   草枯れて月の光の折れ易し   伊藤まさ子

草が命を失って、折れやすくなっている。
そんな情景を光が折れやすく、と言いとめる。
絵でも写真でも表現できない。
コトバでなければ、という表現です。
好きな句です。
いままでは、こういう句がつくれたらイイ!と
思ってきました。
しかし、最近、うまい句が必ずしも
すっと胸に入ってこなくなりました。
もっと素直に月の光に照らされた枯草を
詠めないのだろうか?と、思うこともあります。

でも、うまい句ですね。    遅足




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