575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

初句会の投句が集まりました。   遅足

2018年01月17日 | Weblog
題詠は「初」です。今回から穗實さんが参加されています。
どの句でしょうね。
                    遅足

題詠「初」
①一族を九人引きつれ初詣
②初釜の挨拶上手小さき手
③書き初めの「腹」のむつかし虚子の句の
④眉を描く少しきりりと初鏡
⑤初夢や俳人朱露と句を交はし
⑥梟が鳴く仮初の恋ならず
⑦読初やかたわらに置く広辞苑
⑧初空や養老の尾根立ち上がり
⑨初みそら日輪背負ひ猫正座
⑩琴の音に喧騒まぶし初バーガー
⑪鳥肌に細かなあぶく初湯かな
⑫手の皺に初日頂く門(カド)の内
⑬初氷堀の石垣凍てついて
⑭初空の中へ稲荷の大鳥居

自由題
①寒の雨濡れて輝く翡翠色
②千枚の桶の蕪にざつと塩
③奏者待つピアノの無音淑気満つ
④凍雲の崩れて鯨は鯛焼きに
⑤神宮のくじ運良きや寒椿
⑥鉄瓶のしゅんしゅん沸いて冬日かな
⑦屋根屋根のこゑをのみこむ冬の夜
⑧双子抱く母となりにし年賀状
⑨人気なき冬苑の鳩「く来るく来る」
⑩またひとつ歳を重ねて根白草
⑪血圧を上げるドアノブ寒の入り
⑫雪路に犬も素足ぞ托鉢僧
⑬看病の末の風邪ひき一人寝る
⑭白帯のすでに弱気の寒稽古

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茶の花や美術館通り左右(そう)に揺れ  結宇

2018年01月16日 | Weblog
句の美術館は静岡県立美術館。
日本平の麓の丘の上にあります。
駐車場から車を降りて、ちょっと歩きます。
緑豊かな径の両側にはお茶の木が花を。
道を右に左に揺れるように登っていく作者。
小さな花も揺れているようです。

旅ゆけば駿河の国に茶の香り・・・
と唄われた静岡県。日本一の茶どころです。
なかでも牧之原台地の茶畑が有名ですが、
ここの開墾には、明治維新で禄を失った武士や、
大井川に渡船が出来て失職した人足たちが携わったとか。
多くの人々の苦労が茶どころを築きあげたんですね。

                 遅足


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富士は雲に茶の花は飛ぶ車窓かな  等

2018年01月15日 | Weblog
遠景に富士山と雲。近景にお茶畑。
新幹線の車窓からの景です。
しかし富士山は雲のなかで見えません。
目の前をよぎって行く茶の花も見えていません。
でも読者には富士も花もありありと見えているのです。

写真だったら誰も見たいとは思わないでしょう。
言葉による写生の妙です。
                遅足
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茶の花や静々進む綿帽子  すみ

2018年01月14日 | Weblog
茶の花の垣根の向うに綿帽子が。
白無垢の花嫁さん。
しずしずと進んでいきます。
結婚式へ向かうところでしょうか?
あるいは嫁ぎ先のご近所へのご挨拶でしょうか。

茶の花との取り合わせ。
花嫁さんの清楚な美しさを連想します。
昭和という時代を思い出します。
今はもう見られなくなった風景かも。

       

今朝も霜の朝。近くの大学ではセンター試験二日目。
雪国の受験生も、みんなガンバレ!
                 遅足
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人絶えて里の茶の垣花の咲く  静荷

2018年01月13日 | Weblog
作者のご主人の実家は海部郡の大きな農家。
しばらく前まで農家は自給自足に近い生活。
敷地の周りはみな茶の木の垣根。
新茶の葉を摘み、蒸し、揉み、乾燥、と、
自分の家でお茶をつくっていました。
なかなか手がかかります。
それだけに美味しいお茶ができたことでしょう。

私の奥さんの実家でも摘んだ葉を製茶工場へ
持ち込み、茶にしてもらっていました。

少子化の日本列島、人の住まなくなった里も。
しかし垣根の茶の木は忘れずに花を咲かせます。
ちょっとサミシイお茶の花の風景です。
                   遅足

今朝は霜が降りました。屋根が真っ白です。
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西條八十て、知っていますか。  竹中敬一

2018年01月12日 | Weblog
私が歌謡曲の元祖、西條八十(さいじょうやそ)のテレビ番組を制作してから、
もう30年近く経ったかと思うと、時代を感じます。
その当時ですら、若い世代が知っている西條八十作詞の歌といえば「青い山脈」
くらいのものでした。
しかし、私たちの世代(80歳代)の者にとって、作詞家の名前は知らなくても、
「誰か故郷を想はざる」「旅の夜風」などの歌謡曲を知らない人はいないと
思います。
当時、まだご健在だった西條八十のご長男、八束(やつか) さんのご協力があって
実現したのですが、台本には書ききれなかったエピソードを思い出しながら
記してみます。

西條八束さんは当時、名古屋大学名誉教授教授。父と違って科学の道を歩まれ、
水圏科学研究所々長などを務められました。
何しろ、西條八十作詞による歌謡曲は二千曲もあります。本来、八十はフランス
文学者としてアルチュール・ランボーの研究者として知られている他、詩や童謡
も沢山、手がけています。
歌謡曲の作詞など苦吟することもなく、次から次へ生み出して行ったようです。
八束さんはこんな例を語って下さいました。
「夏の避暑地に行ってホテルで朝ご飯の時に会いますと、"オレはもう今日、
四つ仕事をしたよ"と言うんですね。頼まれている歌謡曲を四つ書いてしまった
ということですね。」朝めし前に四つも作詞できるとは。

"若い血潮の予科練の 七つボタンは桜と錨…"「若鷲の歌」別名「予科練の歌」も
八十の作詞です。この歌が生まれた経緯について八束さんが語って下さいました。
西條八十が、戦時中、軍部から海軍飛行予科練習生を募集するための軍歌を頼まれ
茨城県の霞ヶ浦にある海軍の飛行場を訪れた時、関係者から説明を聞かなくとも、
入り口に貼ってあったポスターを見ただけで、「あゝこれで決まったね」と言って
あの歌詞がすぐ頭に浮かんだそうです。
凛々しい若者が着ている桜と錨のついた七つボタンの制服姿に軍国少年だった私も
どれだけ憧れたことか。母に五つボタンの制服を七つにしてと云つて、叱られた
ことを覚えています。確か、帽子にも桜と錨のマークがあったと記憶しています。

西條八十は戦後、戦意高揚の軍歌を沢山作ったとして、一部の人から非難された
そうです。八束さんもこの件で父を恨んだ事もあったと云つておられました。
しかし、戦時中、軍部の命令に背くことなど誰もできなかったと思います。
西條八十は、戦争が終わった昭和20年まで早稲田大学の教授をしていました。
教え子が次々に戦地へ送られて行く姿を目の当たりにして、きっと心を痛めていた
に違いない。私はそう思い、八束さんの許可を得て、音楽評論家の森一也さんと
一緒に、未整理のままの八十の書庫で、色々、調べさせてもらいました。
紙質も良くない薄っぺらな「蝋人形」と言う雑誌をめくっていたところ、昭和18年
12月号に「学徒出陣におくる」という詩を見つけました。そこには、歌謡曲にはない
教え子を思う深い心情が刻まれていました。

「学徒出陣におくる」(雑誌「蠟人形」より)

昨夜(よべ) 更けて一人送りぬ、
けさもまた、一人訪(おとな)ふ、
教え子は、若き学徒は、
勇みゆく、大(おほ)みいくさに、

胸せまる一期(いちご)の別れ、
かずかずの想ひもあらんに、
忙しき吾を案じて
玄関に、上がりもやらず。

「いつ征(ゆ)く」と問へば、うち笑み、
「ふるさとに明日(あす) は帰りて
いとせめて残る十日を
両親 (ふたおや)に尽くさん」といふ。

いじらしく双手(もろて)握れば、
うつむきて ただ羞 (はずか) しげ、
うるはしや日本男児(やまとおのこ)は
別離(わかれ)さへ、水のごとくに。ー

ふるさとの母校の杜に、
師は、友は、明日よりみつめん、
朝夕の雲の通ひ路、
勲(いさをし)を忘れなそ君。

君去りて、また、ひと時雨(しぐれ)、
老いし師は、侘 (わび) しく胸に
いとほしむ、目に見えぬ糸、
恩愛は生死(しゃうじ)を超えて。

私は番組の中で、あえて、この長い詩をナレーターに読ませました。
あの有名な日本ニュースの学徒出陣のフィルムを入れながら…。
西條八十のご長男、八束さんはこのシーンを見終わって、「これで、
私が父について思っていたもやもやが、晴れた気がしてきました。」
と感謝して頂き、番組の制作者として大変うれしく思ったものです。

写真のジャケットは
「誰か故郷を思はざる」(昭和 15年)
作詞 西條八十 作曲 古賀政男 歌 霧島昇
太平洋戦争の最中に作られたこの歌は内地より外地の前線で愛唱された。

「青い山脈」(昭和 24年)
東宝映画「青い山脈」の主題歌
作詞 西條八十 作曲 服部良一 歌 藤山一郎 奈良光枝

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初硯  麗

2018年01月11日 | Weblog
初句会に備えて「初」のつく季語を探していたら「初硯」(新年になって初めて硯を使って文字を書くこと)
に出会いました。

実は、おととい大阪に住む友人から書き初めの写真がメールで送られて来ました。ちゃんと初硯で書いたそうです。
彼女の一字は「動」でした。
それに触発されて私も久しぶりに硯を出して墨を擦りました。
書いた字は

「潔」

犬山の針綱神社でおみくじを引いたらこの字が出て来たのです。
今年の私の一字にしました。
画数が多く難しかったです。でも初硯です。

潔く、清らかですがすがしい一年にしたいと思います。

      初硯青き墨の香立ち上がり  麗
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初句会ちかづく  遅足

2018年01月10日 | Weblog
2018年最初の句会。題詠は「初」です。
初詣、初夢、初稽古など「初」のつく季語は沢山あります。
もちろん「最初」などのように季語でなてもOKです。

最近読んだ「天の川銀河発電所」という本。
1968年以降に生まれた俳人たちのアンソロジー。
1983年生まれの句の西村麒麟さんの句がこちら。

  初湯から大きくなって戻りけり   西村麒麟

一番気に入った俳人は津川絵里子さん。
代表句は、

  見えさうな金木犀の香なりけり  津川絵里子

外山一機さんのこんな句も。

  松茸も松田家もゐて日本かな   外山一機

言葉遊びのオモシロサです。

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茶の花や母お出かけの薄化粧   亜子

2018年01月09日 | Weblog
あまり目立たないが清楚な印象の「茶の花」
それに「薄化粧」を取り合わせた句です。
誰の薄化粧かといえば「お母さん」
この句のポイントは「お出かけ」でしょうか。

これで、作中の主人公は子どもに。
お化粧に関心を持ち始める年ごろ。
少女らしくなりはじめる頃でしょうか。
今日のおかあさんはエプロンを外して鏡の前に。
珍しいことです。お出かけです。
どこへ行くのでしょう・・・

そんな懐かしさを感ずるのも茶の花という
季語の力でしょう。
              遅足
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中日歌壇

2018年01月08日 | Weblog
新年の中日歌壇に
さっそく宗匠の歌を発見。おめでとうございます!

島田修三選

イブの夜の放置自転車飛び立ちぬひとりぼっちの月の引力

 {評} クリスマスイブの夜、放置自転車が孤独な月の引力に
     引かれて、大空の彼方に飛び立ったという。
     ファンタジーの一場面のようだが、日常に融通自在な
     想像力を働かせると、こういう楽しい一首ができる。


素敵です。私は融通自在な想像力がだんだんしぼんでいます。


同じ紙面の 
小島ゆかり選で
ぽわっと胸が切なくなるのを見つけました。

豆腐屋のおつりはいつも濡れていた十円おまけは内緒の駄賃

わたしもかすかな記憶が。
寒い日は、水から豆腐をとりだすお店屋さんの手が
赤くなってたな。働く人の手でした。
パックの安売り豆腐をカゴにいれるだけでは
そんな人情の交流もなく、
最近のこどもたちは逆に可哀そうかも。   郁子


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落しもの結ぶ垣根にお茶の花   郁子

2018年01月07日 | Weblog
都市近郊の住宅地でしょうか。
古くからある農家には茶の垣根。
何かが結び付けてあります。
手袋?鍵?ハンカチ?
いろいろな落し物がありそうです。
どんな人がこの道を通るのでしょう?

        

朱露さんが現れました。
酔っぱらった朱露さん、寝転がってしまいます。
起こそうとする私の首に手を廻して・・・
重い。重い。
ふっと腕の力が抜けたところで目が覚めました。
夢でした。 
               遅足


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今年もよろしくお願いします 郁

2018年01月06日 | Weblog
2018年も一週間過ぎようとしています。
今年は新年を意識する間もなく
ここまできてしまったようです。
というのも
大晦日、
日付けの変わるカウントダウンのまさにその時に
長女と喧嘩してにらみあいをしておりました。(笑)

今回のお正月は
何年かぶりに家族全員が夫の故郷(福知山)に大集結、
東京大阪で就職した娘たちも帰ってきて
義母とあわせて総勢6人で年越しすることとなり
それはそれはにぎやかなお楽しみのイベントになったのです。

ところが、家族ならではの甘えも出るのか
それぞれの個性がぶつかり合い、主張がはじまり
期待していた家族団らんが一触即発に。。
集団行動の苦手な面々ばかり(私以外)では
しょうがないですね。もはや我が家の風物詩です。
それでも元日は、みんなで雑煮を食べて、お決まりの神社に詣で、
翌二日に、別々に散っていきました。


とまあ
いろいろ気をつかって新年の抱負も宙ぶらりんのままです。
そんな言い訳はだめでしょうか。
え?
喧嘩の原因ですか?

 私「歯ブラシ、持ってこなかったの?」
 長女「朝イチで東京帰るからタクシー呼んで!」
 私 「は?」

気まずい中、足の悪い義母は
淡々と年越しそばをつくっておりました。

   来て嬉し帰って嬉しお正月

 













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腎臓食も また楽し  竹中敬一

2018年01月05日 | Weblog
私は今年、84歳になりましたが、一年くらい前に、総合病院の腎臓内科の先生から
「腎臓が悲鳴をあげている」と云われて以来、厳しい食事制限を余儀なくされいます。
塩分はもとより、タンパク質、カリウムなどの制限で、おせち料理も禁物です。
自分ではとても調理できないため、医療給食専門の業者から、毎夕食、腎臓食を
持って来てもらっています。
当然、味は薄く、初めは、なかなか馴染めませんでした。こうした時は終戦直後の
食糧難の頃を思い出すようにしました。飢餓状態にあった当時のことを思えば、
腎臓食はとても贅沢な食事です。有り難く頂かなければと自分に言い聞かせて
食べているうちに、今では、濃い味付けのものをは食べられなくなりました。

今、テレビなどで紹介される料理の「絶品…」は、大抵、味が濃そうなものばかり。
「名古屋めし」という言葉が嫌いなのは、これでもか、これでもか とコテコテの
味付けの料理を思い出すからです。デパ地下やスーパーの食品売り場でも腎臓病に
配慮した食品は殆ど見受けられません。
たまに、ウナギが食べたくなる時は、関東風の蒸した白焼きを食べさせてもらえる
名古屋駅近くのお店まで出かけています。
外食の時は「天ざるソバ」と決めています。野菜は天ぷらにすると、カリウムが
少なくなると云われています。ソバも天ぷらも汁につけた後、一旦、ザルに戻し汁を
十分、落としてから、食べるようにしています。
しかし、「ウナギの白焼き」も「天ざるソバ」も私の独断で食しているだけで、
主治医に報告すれば、首をかしげられるかもしれません。

腎臓病を食べているうちに、食べ物にはそれぞれ本来の味があることを知りました。
この本来の味を生かした料理がもっと増えると良いと思うのですが… 。

写真は息子、健の作品「狛犬」です。

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今年もよろしくお願いいたします。 麗

2018年01月04日 | Weblog
お天気に恵まれた今年のお正月も終わり、あっという間に早くも四日です。
今年もあと361日ですね(笑)
仕事始めの方も多いと思いますが、まだ朝の通勤の車は少なかったです。
私もおせち料理のお重も屠蘇器も片づけ、今、初掃除を終えたところです。
初布団干しに初電話。なんでも初をつけて喜んでます。

新年にあたり、今年の目標を考えてみました。ガンジーの言葉に「明日死ぬと思って生きなさい、永遠に生きると思って学びなさい」というものがあるそうです。
年末に九州の叔母がこの名言を教えてくれました。

なるほど。。。明日死ぬと思って生きるというのはよく聞きますが、永遠に生きると思って学ぶ。これはなかなかできることではありません。
この言葉を今年の壮大な目標にして、私は司馬遼太郎の作品をできるだけ読んでみたいと思います。
司馬さんが命をかけて紡いだ言葉を心して読んでみたいと思います。


         新年の目標を決め声に出す   麗
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初夢のごちゃごちゃしていて困る   遅足

2018年01月03日 | Weblog
二日の夜に見る夢を初夢というそうです。見ました。
何処か知らないところで、誰か知らない人の結婚式に参列。
見知らぬ人にまじってついてゆくと、空洞のような部屋へ。
これじゃ式がみられないじゃないか、と思ったところで・・・
目が覚めました。
いったいどういう夢だったのでしょう?
出来たら、こんな夢がみたかった。

  初夢のなかの産湯にゆったりと



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