575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

木洩れ日の白きひと筋今年竹  竹葉

2021年06月11日 | Weblog

 

結宇さん: 直立する竹林のはざまをまっすぐに陽が降りてくるところでしょうか。竹のまっすぐさとの対比を想像してます。

泉さん: 今年も竹の子から竹になり ういういしさを感じる。

亜子さん: 「今年竹」という季語。若竹の緑とその間の一筋の白き光のコントラストがいい。

 

筍が皮を脱ぎながら成長し、盛夏に入って竹らしい姿をととのえる若竹。

今年竹という季語がとても活きていますね。

青々とした若い竹林に真っ直ぐに光が差し込んで、真っ直ぐな竹と交差する。

厳かともいえる景がはっきり浮かんできます。  さすが竹葉さん。

自然界は

新参者の人間がコロナ禍で動揺していることなどお構いなく、

全く違う次元で粛々と為すべきことをしています。

 

 ゆさゆさと蜜蜂と藤絡み合い 泉

この句も、生きるために蜜を求める蜂の営みがシンプルに捉えられています。

竹葉さんも 

「ゆさゆさ」と「絡み合い」が必死に藤の花から花へ 蜜を求める蜜蜂が想像できていいと思いました。

と選句コメントを送ってくださいました。

 

なかなか収束がみえてこないコロナ禍、

すっかり疲弊している人間にエールを送るかのように

自然界は変わらぬ生命力を見せてくれます。

公園の歌壇にずらり一直線に並んだ苗を見たら、「ひまわり」と札にかかれていました。

20センチくらいに伸びて、本葉を逞しく四方に広げています。

植物から力をもらうと同時に、これらを植えた人の願いにも励まされました。

  向日葵の苗からスクッと朝日向く  郁子

 

 

 

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指揮棒に瞳集めて初夏の歌  亜子

2021年06月10日 | Weblog

自由題で高得点を得た亜子さんの俳句。

合唱団の指揮者でしょうか?皆の心とタイミングがひとつになって団員の瞳が集中します。

「初夏の歌」は「夏は来ぬ」でしょうか?

今はコロナ禍でなかなか合唱の練習や発表会もできなくなっています。いろんな芸術鑑賞ができないのが一番つらいです。この俳句はコロナの前の思い出のシーンのように思えました。また気軽にコンサートに出かけられるようになる日を心待ちにしています。

では皆さんのコメントをご紹介します。

能登さん:子供達の合唱風景でしょうか。瞳集めてが、いいですね。

泉さん:可愛らしい歌声が今にでも聞こえてきそう。

須美さん:瞳集めてが好き。真剣さが伝わる。

紅さん:瞳集めてという中七が好きです。

 

皆さん、中七の「瞳集めて」という表現に魅かれています。そして子供たちの真剣な表情や澄んだかわいい声まで聞こえて来る秀句ですね。

今このブログを書いていて、ユーミンの「瞳を閉じて」という曲が聞きたくなりました。

確か長崎五島列島の中学校の校歌になった曲です。どこまでも青い海が目に浮かびます。

瞳には不思議な力がありますね。麗子

 

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ワクチンの予約の取れて燕飛ぶ  能登

2021年06月08日 | Weblog

日本中の高齢者を巻き込んだワクチン騒動。

さきほどようやく義母の予約がとれました。義母の住む市町村は週一回9時からの予約受付ですが、ここ3週間にわたってトライするものの電話は全く通じず、ネット、ラインを駆使しても途中でアクセスが集中してサーバーダウン。しばらくたってお掛け直し下さいという連れない留守番電話の声。そして1時間後には受付終了の文字。今週もまただめかと思いましたが、さきほどやっと取れました。パソコンに不慣れな高齢者には今回の予約は無理がありすぎました。かかりつけのお医者さんの電話もなかなか通じず。通じた頃にはもう予約がいっぱいでした。

本当に日本のIT技術力はどこに行ってしまったのでしょう。自治体ごとにシステムが違い、我先にという感じでやきもきしました。当の義母は「どこにも出かけないから別に打たなくてもいい」と言い出す始末でした。

 

さて今回の能登さんの時事俳句。まさにこのワクチン騒動から抜け出した安堵の気持ちがあふれていました。運よくとれて、「燕飛ぶ」というさわやかな季語にもよく合っていると思いました。

郁子さん:「まさに時事句ですね。近所のお年寄りを久しぶりに見かけたと思ったら、立ち話でワクチン接種の情報交換をしていました。」

もっぱらの話題はワクチン接種ですね。亜子さんも副反応の頭痛、倦怠感を乗り越えられ無事に2回接種完了されたとのこと。遅足さんと佐保子さん、竹葉さんもかかりつけ医で接種できるそうです。

皆さんはいかがですか?早く打って安心したいような怖いような複雑な気持ちです。

こんな状況でオリンピックとは。。。麗子

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たまゆらに 虹たちのぼる 如露の先 <殿>

2021年06月06日 | Weblog

拙句の「たまゆら」とは少しの間という意。ところで、6月といえば梅雨の季節。本来は雨が続き水に満ちる筈。しかし、陰暦では「水無月」<みなづき>。これは「な」の音に「無」が当てられたといわれています。日本人は当て字が好きなのでしょう。10月の「神無月」<かんなづき>も同じ理由。西洋暦の6月はローマの女神「ユーノ」が語源。女神ユーノはプライドが高く嫉妬深い女神としてされています。欧米で6月に結婚式が多いのは梅雨のない気候のせいと思っていました。しかし、違う意味がある気もしてきます。とまれ、季節の移り変わりを表す陰暦の方がどこか詩的。やはり、俳句には陰暦の方が似合うようです。

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やわらかき 雨に焦がれる 蝸牛<かぎゅう>かな <殿>

2021年06月05日 | Weblog

「月様、雨が….」「春雨じゃ、濡れていこう」月形半平太が傘を差し出す舞妓に言う台詞。「月形半平太」は幕末を扱った舞台劇。1919年の京都明治座の新国劇が人気を博し名台詞となりました。ところで、月形半平太が傘を断ったように、春雨はしっとりとした小雨。梅雨もしとしと降る雨の筈。しかし、今夏は梅雨入り直後から警報級の豪雨。俳句の季語の意味合いも変わってくるかもしれません。

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五月雨や 大師と濡れる 二人旅   紅

2021年06月04日 | Weblog

五月雨は本来ならば、今の時期の雨。

今日は朝から風も伴いしっかり降っています。

          

いただいたコメントのご紹介です

亜子さん:大師は弘法大師でしょうか。お遍路に行かれたのでしょうか?「「濡れる」という表現に雨の日も晴れの日も同行二人で歩く姿が目に浮かびます。

殿さま:「同行二人」の遍路を表したのでしょう。しかし「遍路」と記せば季重なりとなるので避けています。弘法大師と濡れる五月雨。詩的な佳句。

 

気づきの足りない私は、某私鉄主催の「歩いて巡拝知多四国」で結願しておきながら、「同行二人」に思い至らず、失礼しました。(御朱印にばかり気がいってたかな)

 

歩く。。足跡というならばこの一句

波打って風の足跡麦の秋  麗子

 

殿さま:松任谷由実「あの日に帰りたい」を彷彿。麦畑を駆け抜けてゆく少女を鳥瞰する印象。

晴代さん:麦の揺れるのを風の足跡と見た景色、以前竹島への吟行時に見た風景を思い出しました。

等さん:実った麦の穂が風を受けて揺れるさまは、稲の波よりダイナミックに感じられますね。

亜子さん: 昭和19年に疎開先で麦踏をした経験があります。芽を踏むことにより強くなる。今度は風に踏まれて・・

麦の秋の波がうねるような感じが「風の足音」にぴったり。

  と選句コメントも読みごたえがあります。

「足」の字を俳号に持つ遅足さんも選句しておられました。 

 

作者の麗子さんに伺いましたら

「麦の秋」というと茶の穂のイメージになるが青々とした穂のイメージだったそうです。後で、「麦畑」でもよかったかなと。。

 

どちらにしても、風景がきちんと描かれているだけにとどまらず、

読み手それぞれに思い出の景を浮かび上がらせる、広がりのある一句と思います。

俳句のだいご味ですね! 私も学びたいと思いました。  郁子

 

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蝶番五月の空を飛んでくる  遅足

2021年06月03日 | Weblog

蝶ではなく「蝶番」というところに魅かれちょっとシュールな句だと思いました。本当は蝶のつがいが飛んでいたのでしょうが。。。

でも遅足さんの俳句なのでここはちょうちょではなく金属の「蝶番」と詠んだ方が面白いかも知れません。

いただいたコメントです。

 

千香子さん:最初蝶が飛んでくると詠んでしまい。蝶番??

   金子兜太の  庭中に青鮫がきている  の句に出会ったとき、びっくりしましたが、

   この蝶番もあり得ないことなのに、どうして引っかかるものがあるのでしょう。

   扉は蝶番がなければただの板、身近なところでなくてはならないのが蝶番、

   などと考えなくていいのでしょうね。

 

殿さま:季重なりでしょうか。

しかし、他句と比べ晴々とした開放感を読み手に与えます。

 

能登さん:一瞬、チョウツガイが空を飛ぶ?と勘違いさせそうな句。それがおもしろい。 

 

奥様の佐保子さんによりますと、遅足さんは最近デイサービスやショートステイを利用されているそうです。庭を見てうつらうつら。こんな俳句が生まれて来るようです。

リハビリ中でも遅足さんらしさはちっとも失われていませんね。麗子

 

 

 

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