575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

八月や孫の聞きゐる腕の傷  千香子

2021年09月10日 | Weblog

「戦争の腕の傷なのでしょうか。もう少し踏み込んでほしい気もしました。」

という亜子さんからの選句コメントもあり

この句について、何か物語があるのでしょうかと伺ってみました。

 

千香子さんおっしゃるには

最初、図書館で紙芝居行事 の知らせがあり

 八月や子らの聞きゐる紙芝居

の句ができたとのこと。
しかしこれは八月でなくてもいいと思っていた時、

テレビで「戦争体験を聞く」という番組を見て、お母さまのつくられた歌を思い出したのだそうです。
 

「よほど辛いことがあったのだろう 」と甥御さんを思いながら詠んだ歌。

  ◇ シベリアの 土となるべきをながらへて言うことなしとぞ今はの甥は

 

千香子さんにとって従兄弟さんにあたるその方は、

60代で亡くなるまで ご自身の体験であるシベリアのことを一言もおっしゃらなかったそうで、千香子さんも聞いていません。

辛すぎて話せなかったのか、これ以上の悔恨や怨念を後世に残すべきでないと思ったのか、今となってはわかりません。



 【原爆についても「今伝えなけば」という思いで語りだした人もいます。
   疎開の経験者の私もなんらかの形で、伝えていければと思っていました。

   そんな時、祖母から戦争体験を聞いている孫のテレビを見たのでつくりました。
   「八月や孫の聞きゐる胸の傷」 にした方が良かった、と思っています。】:千香子さん
              
内面の痛みより、腕の傷とあったほうが、お孫さんとの語らいのきっかけとなった無邪気な問いが生きるようにも思いました。

  

昨日掲載のブログにもあったように

高齢化で語り部さんが減少する中、次世代への「語り継ぎ手」の重要性が指摘されています。

太平洋戦争開戦から八〇年という節目にありながら、コロナ禍報道と東京オリパラで駆け抜けた感のある八月。

今は政局の行方でてんやわんやといったところでしょうか。

この国に生まれたものなら誰しもが「八月」に抱く鎮魂と祈りの情が だんだん薄れつつある昨今

戦後に生まれ、あたりまえのように平和を享受してきた身としては、

語り継ぐことで、文明人としての証を未来に示していきたいと思うこの頃です。  郁子

 

 

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置き去りの骨の慟哭終戦日  亜子

2021年09月09日 | Weblog

毎年8月には必ず戦争の俳句を詠んでおられる亜子さん。海外で戦死された方240万人のうち115万人の遺骨は収集されず今もなお海外に残されているままです。終戦から76年。置き去りにされた遺骨を一日も早く収集してあげたいです。沖縄の埋め立ての問題もあります。「骨の慟哭」という何とも言えない表現をされた作者の力強いメッセージと平和への祈りが感じられます。

皆様からのコメントです。

郁子さん:埋まっている骨は日本人だけではない。愚かなことをしたものです。

 詩人 竹内浩三 骨のうたう をおもいだしました。

千香子さん:辺野古を埋め立てる土砂のことで、遺骨が混じっていると話題になっていたのを思い出しました。生を絶たれた人たちの無念さが伝わってきます。

晴代さん:一刻も早く故郷へと願います。

             ★★★

この夏「ピースあいち夏の戦争体験を聴くシリーズ」をズームで拝聴しました。亜子さんのご主人も語り部として長く子供たちに自らの戦争体験を語っておられました。残念ながら昨年亡くなられましたが、その戦争体験の語り継ぎ手のボランティアが新たに誕生し、生前の活動の様子が動画で紹介されました。真剣に聞き入る子供たちの姿が目に見えるようでした。二度と戦争を起こさないようにという平和への強い思いはこうして引き継がれています。俳句の世界でも決して忘れてはいけませんね。麗子

 

 

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侘び住まい 秋影の妙 興と成す <殿>

2021年09月05日 | Weblog

鎌倉の庭にある離れ。秋の光が不思議な文様を描きます。静かに影を眺める。これもひとり暮らしの楽しみでしょう。

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白露降り 人無き夜の 歩道橋 <殿>

2021年09月04日 | Weblog

緊急事態宣言の都内。夜8時になると街の明かりが消えます。誰もいない表参道の歩道橋。ところで、都内のコロナ感染は友人やその家族にも感染が拡っています。親は濃厚接触者とされ自宅待機。感染源となった娘はホテル療養。家族間の連絡はスマホを使用。すでに港区の小中学生にはタブレットが配布されています。その是非は別にして、日本のデジタル社会は日常化していくようです。

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稲妻や浮かぶ凸凹街の景  晴代

2021年09月03日 | Weblog

景色があざやかに見えるこの句に寄せた皆さまからの選句コメントです。

 

千香子さん:夜の街を一瞬浮かび上がらせる様子は、見たことのある光景で凹凸と表現したところが面白いと思いました。

須美さん:浮かぶ凸凹が面白い

亜子さん:でこぼこで高さの揃わない不揃いなビル群。日本の街らしい風景が浮かび上がりました。

麗子さん:暗闇に一瞬、街の景色が浮かび上がるところに魅かれました。凹凸(おうとつ)ではなく凸凹(とつおう)にされたのはさすがです

 

最初、浮かぶ(おうとつ)と読んでいた私、

麗子さんの指摘で凸凹に気づきました。(その気づき、さすがです)

そうなると訓読みで「でこぼこ」と読むのが正解でしょうね。

音の感じで句の味わいも違ってきますね。

  

強烈な閃光をうけて浮かび上がる街。光と影が二次元に見えた街のビル群を立体的なものとして可視化します。

それは妖しい生き物のごとく隠れていた「闇」をも浮かび上がらせたかもしれません。

何かの拍子にすでにあった存在に気づかされることがあります。

コロナ禍という稲妻が、今たくさんの影や闇を見せてくれているように思います。郁子

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我が脳の海馬を走る稲光  郁子

2021年09月02日 | Weblog

海馬は大脳の側頭葉の深部に位置しタツノオトシゴのような形をしているそうです。その働きとは「記憶の司令塔」とのこと。海馬が委縮するとアルツハイマー型認知症になるとか。脳の構造は複雑で素人にはよくわかりませんが、できることなら委縮せず電流のようにシナプスが働いて神経伝達がうまく働いて欲しいです。

作者の郁子さんは、「稲光」という兼題で、脳内のひらめきを句にされました。郁子さんの脳内のシナプスは絶好調ですね。海馬という専門用語を俳句に詠み込んだところが新鮮です。

皆様からのコメントです。

殿様:海馬への記憶は電気信号により伝達されます。自らの脳内に稲妻を見たのでしょうか。

   脳内の血管障害である閃輝暗点と杞憂しますが、俳句としては大胆な発想が素晴らしい。

紅さん:記憶を仕分ける海馬。そこに稲光。力強さを感じます。

亜子さん:◎の句。脳天に走るような強烈な表現。海馬という着想がすばらしいです。

晴代さん:恐ろしい記憶の稲光でしょうか?

              ★★★

俳句という文芸に理科系の言葉を入れてみると思わぬ化学反応が起こるようです。長引くステイホームで海馬が委縮しそうですが、なんとか刺激を取り込んで脳の神経伝達を活発にして行きましょう。麗子

 

 

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