午前6時の表参道。眠る街を起こすように鴉<からす>が啼きます。朝を呼んでいるのでしょうか。高杉晋作の好んだといわれる「三千世界の鴉を殺し 主<ぬし>と朝寝がしてみたい」拙句のような情景を艶っぽく歌ったのかもしれません。
実家近くの明治神宮。大晦日から元旦は参拝客により長蛇の列ができます。やや閑静を取り戻した境内。厳かな雰囲気の拝殿に祈る父と子。示し合わせたように柏手の音が重なります。
「あらたまと」は研磨されていない真っさらな玉の意味。新年をあらわす枕詞です。ロケで訪れたすすき野。私を気ままな旅へと誘います。
日記の一行書きのような私の拙句で申し訳ありません。お礼も兼ねましてコメントを紹介します。
亜子さん:「デイサービス」という言葉は以前にはなかった言葉。俳句の世界に現れるようになりました
晴代さん:小春日の季語が情景にぴったりです
泉さん:少し楽しげで微笑ましい情景がうかぶ
佐保子さん、千香子さんもとってくださいました。ありがとうございます。
今年91歳になる母のことです。
「私のようなものより若い人にお金を使ってもらいたいからほっといて」
何かと理由をつけては介護申請を拒否していた母が、昨年秋も深まった頃、ようやく認定試験を受け入れました。
コロナ禍の真面目な自粛生活で足腰が弱り、スーパーの店先でよろけて転んだのがきっかけです。
幸い頭を打ったり骨折ということはなかったのですが
ここぞとばかりに姉と私で猛プッシュ。異例の速さで「要支援2」をとりつけました。
加齢による心身の衰え(フレイル)は深刻な要介護状態への入り口、一刻も早く手を打つことが健康寿命を伸ばすうえで大切なのだと、
福祉士さんやケアマネージャーさんが熱く語ります。「人と話すの苦手」だの「いろいろさせられるの嫌」などという母の理屈はとおらず、
まずはおためしでよいので行ってみてはと勧められたデイサービスが今年から週に一回の定期となりました。
運動とマッサージの組み合わせが気に入ったようで母はお迎えの車に乗ってにこやかに手を振り出ていきます。
童女のような母の笑顔にちょっと切なくなる瞬間でもあります。 郁子
「年暮るる」の傍題は「年の暮れ」「歳晩」「歳末」「年の瀬」「年の果て」などたくさんあります。街は歳末商戦で忙しく、家庭でも新年を迎える用意に忙しい頃。全てが慌ただしくでもとこか活気を帯びる時でもあります。そんな中、日常から隔離された病院には「年暮るる」という少し穏やかな季語が一番合うと思いました。
夕暮れ時、病棟の窓の明かりを見ると、そこには入院生活を余儀なくされている人がおられることに気づかされます。できれば退院してご自宅で新年を迎えたいという希望を持ちながら病と懸命に闘っておられることでしょう。
そんな窓の一つ一つにその人の人生の物語があるような気がします。
この俳句の作者の亜子さんはご主人の入院中、コロナで面会できず、ナースステーションに毎日、お手紙を届けたそうです。会えない辛さは私もコロナ禍で母を見送ったのでよくわかります。そして今また父が入院中です。
須美さんから「コロナで面会は出来ず病院の窓の灯りに家族、友人を想う人は少なくないと思います。そして今年も暮れていきます。」というコメントを頂きました。
それでなくても辛い入院生活にお見舞いができないというやるせなさ。一日も早くオミクロン株が収まり、面会が可能になりことを祈ります。麗子
酉の市は、関東地方が発祥の地とされる年末行事です。都内では浅草の鷲<おおとり>神社の酉の市が有名で年末の行事として知られています。鷲神社は日本武尊<やまとたけるのみこと>が酉の日に戦勝祈願をしたことから武運長久、開運、商売繁盛を願う行事として広まったといわれています。コロナ禍においても、酉の市は約900店舗が出店する大規模イベント。本来、熊手は農具であり武器。空手にも熊手を模した技があります。酉の市の熊手は鷲が獲物を鷲掴みにしたことが由来といわれています。熊手商はこうした口上を述べたあと「買った」「負けた」と売り手と買い手のやりとりが行われます。そして、商談が成立すると「お手を拝借」というかけ声のあと「手締め」がおこなわれます。ちなみに、鷲神社での手締めは「江戸締め」と呼ばれ「イヨー」という掛け声は「祝う」が変化したといわれています。拙句は熊手を持ち江戸締めが行われた情景を詠んだもの。酉の市の熊手には、鯛、枡、小判、米俵、七福神などが飾りつけられそれぞれの意味は口上で聞くことができます。
12月の句・自由題ではこの句もトップとなり
共感とともに皆さまからたくさんコメントをいただきました。
作者は焚き火から何を見ているのでしょう。焚き火は飽きることのない動画のような気がします:殿さま
焚き火。走馬灯のようにいろいろなことが浮かびます:紅さん
焚火の魅力。未来のことより過去のことを思い出し、炎を見ていて飽きることはありません:亜子さん
ゆらゆら揺らぐ火の姿ですね。 連想するのは、御舟の絵でしょうかねえ:結宇さん
焚火は何故かいろいろのことを思ったり思い出したりしますね:晴代さん
最近、炎を見る機会が少なくなった。ゆったりとした時間を感じる:泉さん
キャンプやソロキャンプをする人が増えたなか焚火を楽しむ人が増えていると聞きます。過去を見ているのですね:須美さん
焚火の炎の揺れは「1/fゆらぎ」という生体が好む独特のリズムがあり、川のせせらぎ、木洩れ日などの自然界特有のものと同じく
疲れた時などに目にすると、リラックス時の脳波であるα波が増えることが検証されています。
ノルウェーでは「燃え続ける暖炉」を12時間放送したところ、視聴率が20パーセントを超えたとか。。ナレーションやBGMがなくとも見ていられる映像のようです。
オール電化で、料理はIH。炎を知らない子どもも増えていますが
独特のゆらぎとパチパチという音は、内省を促し過去から明日への気づきも与えてくれるのではないでしょうか。
新年の焚火、左義長の炎を見に行きたくなりました。 郁子
先月の句会の自由題で能登さんともにトップ賞に輝いた晴代さんの句。年末の新聞にこの一年で亡くなった人の追悼特集がありますが、「ああ、あの人もこの人も今年亡くなったんだ」との思いを強くされた方も多いと思います。昨日の殿様のブログも亡き先輩をしのぶものでした。人生ははかないと感じる瞬間ですね。
中村吉右衛門さんは去年11月28日に77歳で亡くなられました。テレビの鬼平犯科帳でおなじみの吉右衛門さん。勧進帳での武蔵坊弁慶が十八番でした。晴代さんはきっと吉右衛門さんのファンだったのでしょう。心の動揺を収めるかのように思わず俳句にされたのかも知れません。
訃報に接し思わず眺めた枯れた庭に、ひときわ鮮やかな冬紅葉が目に飛び込んで来たのでしょう。それは吉右衛門さんの華やかな歌舞伎人生にふさわしい燃えるような赤でした。
皆様のコメントです。
殿様:歌舞伎の中村吉右衛門への追悼句でしょう。下五の「冬紅葉」色彩すら伝わってきます。
竹葉さん:存在感のあった大役者を惜しむ気持ちが冬紅葉に表れ、しかも散りゆく景色が浮かびます。
紅さん:冬紅葉が目に浮かびます。
郁子さん:鮮やかな赤が逆に悲しい。
亜子さん:男の色香を感じる歌舞伎役者の吉右衛門。私は吉右衛門一筋です。凛とした冬紅葉の季語とよくあっていると思います。
結宇さん:今の役者の中では、もっとも江戸風の雰囲気を持った方でしたね。
紅葉の色どりを感じます。 残った役者に頑張ってもらわねばね。
泉さん:寂しさを感じる。
★★★
佐保子さんも採られていました。本当に惜しい人を亡くしてしまいましたが、
播磨屋さんの思い出はいつまでも歌舞伎を愛する人の心に生き続けると思います。今、歌舞伎役者がテレビの世界でも多く活躍するようになったのは吉右衛門さんの功績かも知れません。後進に道筋をつけられましたね。合掌。麗子
お世話になった先輩から年賀状が届きません。訝<いぶか>しく思いお電話したところ急逝したとの由。お悔やみの手紙を認めつつ松の内から諸行無常といった感。
初詣の篝火<かがりび>。篝火の古名は「庭燎」<にわび>。古事記では天岩戸の天照大神<あまてらすおおみかみ>を招く舞踏の際に篝火が焚かれたと記載されています。庭燎は、古<いにしえ>から宮廷、社寺、武家、民間で使われる日本の屋外照明といえるでしょう。篝火に照らされる明治神宮の拝殿。今年が穏やかな年になることを神に祈ります。
猛り狂う地吹雪。気温マイナス19度。体感温度はマイナス30度近いでしょう。風雪に軋む社<やしろ>に参拝。凍えて動かなくなった手でシャッターを切ります。駒ケ岳2,956m頂上直下。元旦の景。