【まくら】
客が浅草の船宿に頼んだのは屋根船である。屋根船は数人の船頭が操る「屋形船」より小さく、一人か二人で漕ぐ船だ。屋根がついているだけなので、夏は簾をかける。そこで「日除け船」と言った。冬は障子で囲い、川風の寒さをふせいだ。そのようにして川遊びや逢い引きに使われた。客が船宿を訪ねたのは、芝居見物の後という設定であるから、これは芝居町が猿若町に移った後の咄だろう。幕末の猿若町は中村座、市村座、河原崎座の江戸三座が並び、一大繁華街となっていた。芝居は夕暮れになるとはねる。猿若町から歩いて花川戸を抜けると吾妻橋だ。この船宿はそのあたりだったかも知れない。ここから下流の駒形橋にかけての川沿いには、たくさんの船宿があった。各種の船が、吉原や両国・深川など、一大繁華街への便利な交通手段として、面白い役割を担っていたのである。
出典:TBS落語研究会
【あらすじ】
舞台は、山谷堀の吉田屋という船宿…。
「二百両ほしい!! 五十両でもいいぞォ…!!」
そこの船頭・熊蔵は、このところ毎晩のように超現実的な寝言を唸っていた。
ある雪の夜、いつものように熊の「金くれえ」が始まったころ合いに、門口で大声で案内を乞う者がある。
主が窓から覗いてみると、雪の中に人相の悪い浪人風の男が、若い女を連れて軒下に立っていた。
「妹と一緒に芝居を見てきた帰りだ。この大雪で、身動きが取れなくなって困っておる。大橋まで、屋根舟を一艘仕立ててもらいたい」
「へぇ」
返事はしたものの、あいにく船頭はほとんどで払っており、残っているのは『二百両くれ!』の熊蔵だけ。
主が話を通すと、熊蔵は最初『寒いから』と渋っていたが、酒手が十分に出ると聞き、大張り切りで船着場へと飛んでいった。
「ご機嫌よろしゅう…」
女将が舳をポンと押すのを合図に、船はスーッと川中へ。
「ウゥ…サブ…。」
こっちは寒さに震えながら、舟を一人で漕いでいる。船の中では二人でしっぽり…この違いはなんなんだろうなぁ?
「しかし…あの二人、兄弟じゃねぇな。駆け落ちかな? ま、いいか。こちとら、酒手さえもらえりゃ恩の字だからな…」
独り言を言っていると、侍が舟の障子をガラリと開け…。
「船を止めろ。お主に相談したいことがある」
中に入ると、娘は火鉢の横で居眠りをしていた。その様子を見ながら侍が。
「この娘、実は妹ではないのだ。三谷掘りまで参ると、この娘が犬に取り巻かれて難儀をしておったのでな、それを助けたのじゃ」
介抱しながら懐に手を入れると、ズシッと重い縮緬の財布…。
「聞けば中身は二百両。どうじゃ、この女を始末するのを助けたら百両やろう。手を貸さんか?」
熊が仰天して断ると『大事を明かした上は命はもらう』とすごんでみせる。
「解りました! でも、ここでやられたんじゃ痕が残ります。これから船を中州にやりますから、そこでバッサリおやんなさい。朝んなれば、水が満ちて亡がらは川ん中だ」
こうなると、欲と怖いのが一緒になって、熊公は一生懸命船を中州へ。侍が先に上がったところで…いっぱいに棹を突っ張り、舟を出してしまった。
「こら、卑怯者!船頭、返せ、戻せ!」
「ざまあみやがれ、宵越しの天ぷらァ! 今に潮が満ちて来てみろ、『侍』が『弔い』って名に変わるんでぃ!」
娘を起こして身元を訊くと、何と石町の扇屋という豪商の一人娘だった。
家に連れて行くと、大騒ぎの最中。お礼は後日伺うが、まずは身祝いと酒手を差し出す。失礼な奴でその場で包みを破いて中を見ると、50両が二包み。「100両だ! ありがてぇ」両手でわぁ!と握りしめると、あまり の痛さで目が覚めた。元の船宿で夢を見ていた。どうしてそんなに痛いのか考えてみたら、奴さん金と間違え、自分の急所を思いっ切り握りしめていた。”強欲は無欲に似たり”と言うお話。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【オチ・サゲ】
途端落ち(噺の脈絡がその一言で結びつく落ち。)
【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『欲深き 人の心と 降る雪は 積もるにつけて 道を忘るる』
『箱根山 駕籠に乗る人 担ぐ人 そのまた草鞋を 作る人』
『魚心あれば水心 阿弥陀も金で光る世の中』
【語句豆辞典】
【屋根船】屋根のある小型の船で、屋形船より小さく、一人か二人で漕ぐ屋根付きの船。夏はすだれ、冬は障子で囲って、川遊びなどに用いた。別名、日除け船とも言った。
【酒手(さかて)】1.酒の代金。さかしろ。さかだい。 2.人夫・車夫などに与える心づけの金銭。
【この噺を得意とした落語家】
・三代目 三遊亭金馬
・六代目 三遊亭圓生
・三代目 古今亭志ん朝
【落語豆知識】
【ツ離れ】観客数が十人を越すこと。一ツから九ツまではツがつくが、十になるとツがつかないところから。
客が浅草の船宿に頼んだのは屋根船である。屋根船は数人の船頭が操る「屋形船」より小さく、一人か二人で漕ぐ船だ。屋根がついているだけなので、夏は簾をかける。そこで「日除け船」と言った。冬は障子で囲い、川風の寒さをふせいだ。そのようにして川遊びや逢い引きに使われた。客が船宿を訪ねたのは、芝居見物の後という設定であるから、これは芝居町が猿若町に移った後の咄だろう。幕末の猿若町は中村座、市村座、河原崎座の江戸三座が並び、一大繁華街となっていた。芝居は夕暮れになるとはねる。猿若町から歩いて花川戸を抜けると吾妻橋だ。この船宿はそのあたりだったかも知れない。ここから下流の駒形橋にかけての川沿いには、たくさんの船宿があった。各種の船が、吉原や両国・深川など、一大繁華街への便利な交通手段として、面白い役割を担っていたのである。
出典:TBS落語研究会
【あらすじ】
舞台は、山谷堀の吉田屋という船宿…。
「二百両ほしい!! 五十両でもいいぞォ…!!」
そこの船頭・熊蔵は、このところ毎晩のように超現実的な寝言を唸っていた。
ある雪の夜、いつものように熊の「金くれえ」が始まったころ合いに、門口で大声で案内を乞う者がある。
主が窓から覗いてみると、雪の中に人相の悪い浪人風の男が、若い女を連れて軒下に立っていた。
「妹と一緒に芝居を見てきた帰りだ。この大雪で、身動きが取れなくなって困っておる。大橋まで、屋根舟を一艘仕立ててもらいたい」
「へぇ」
返事はしたものの、あいにく船頭はほとんどで払っており、残っているのは『二百両くれ!』の熊蔵だけ。
主が話を通すと、熊蔵は最初『寒いから』と渋っていたが、酒手が十分に出ると聞き、大張り切りで船着場へと飛んでいった。
「ご機嫌よろしゅう…」
女将が舳をポンと押すのを合図に、船はスーッと川中へ。
「ウゥ…サブ…。」
こっちは寒さに震えながら、舟を一人で漕いでいる。船の中では二人でしっぽり…この違いはなんなんだろうなぁ?
「しかし…あの二人、兄弟じゃねぇな。駆け落ちかな? ま、いいか。こちとら、酒手さえもらえりゃ恩の字だからな…」
独り言を言っていると、侍が舟の障子をガラリと開け…。
「船を止めろ。お主に相談したいことがある」
中に入ると、娘は火鉢の横で居眠りをしていた。その様子を見ながら侍が。
「この娘、実は妹ではないのだ。三谷掘りまで参ると、この娘が犬に取り巻かれて難儀をしておったのでな、それを助けたのじゃ」
介抱しながら懐に手を入れると、ズシッと重い縮緬の財布…。
「聞けば中身は二百両。どうじゃ、この女を始末するのを助けたら百両やろう。手を貸さんか?」
熊が仰天して断ると『大事を明かした上は命はもらう』とすごんでみせる。
「解りました! でも、ここでやられたんじゃ痕が残ります。これから船を中州にやりますから、そこでバッサリおやんなさい。朝んなれば、水が満ちて亡がらは川ん中だ」
こうなると、欲と怖いのが一緒になって、熊公は一生懸命船を中州へ。侍が先に上がったところで…いっぱいに棹を突っ張り、舟を出してしまった。
「こら、卑怯者!船頭、返せ、戻せ!」
「ざまあみやがれ、宵越しの天ぷらァ! 今に潮が満ちて来てみろ、『侍』が『弔い』って名に変わるんでぃ!」
娘を起こして身元を訊くと、何と石町の扇屋という豪商の一人娘だった。
家に連れて行くと、大騒ぎの最中。お礼は後日伺うが、まずは身祝いと酒手を差し出す。失礼な奴でその場で包みを破いて中を見ると、50両が二包み。「100両だ! ありがてぇ」両手でわぁ!と握りしめると、あまり の痛さで目が覚めた。元の船宿で夢を見ていた。どうしてそんなに痛いのか考えてみたら、奴さん金と間違え、自分の急所を思いっ切り握りしめていた。”強欲は無欲に似たり”と言うお話。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【オチ・サゲ】
途端落ち(噺の脈絡がその一言で結びつく落ち。)
【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『欲深き 人の心と 降る雪は 積もるにつけて 道を忘るる』
『箱根山 駕籠に乗る人 担ぐ人 そのまた草鞋を 作る人』
『魚心あれば水心 阿弥陀も金で光る世の中』
【語句豆辞典】
【屋根船】屋根のある小型の船で、屋形船より小さく、一人か二人で漕ぐ屋根付きの船。夏はすだれ、冬は障子で囲って、川遊びなどに用いた。別名、日除け船とも言った。
【酒手(さかて)】1.酒の代金。さかしろ。さかだい。 2.人夫・車夫などに与える心づけの金銭。
【この噺を得意とした落語家】
・三代目 三遊亭金馬
・六代目 三遊亭圓生
・三代目 古今亭志ん朝
【落語豆知識】
【ツ離れ】観客数が十人を越すこと。一ツから九ツまではツがつくが、十になるとツがつかないところから。