世捨て人のすすめ | |
クリエーター情報なし | |
有楽出版社 |
【一口紹介】
◆内容(「BOOK」データベースより)◆
世捨てとは、世間の物差しから脱出すること。
そうすれば、もう何も恐れることはない。
状況に応じて最もふさわしい生き方を見つけるため、そのヒントとなる仏教の教え。
目標・目的を持てば、現在の自分を否定することになります。
人の言葉や行動に反応ばかりしていると、私たちは他人の奴隷、世間の奴隷になってしまいます。
世間の常識も道徳も、他人の物差しにすぎないのです。
もっと自由に、自分にうぬぼれて生きましょうよ!
本書では、私たちの状況に応じて自分にもっともふさわしい生き方を見つけるための
ヒントとなるお釈迦様の教えを、ひろ先生がわかりやすく解説してくれます。
「世捨て」とは、世間の物差しから脱出すること。
そうすればあなたはもうなにも恐れることはありません。
■第一章 あなたの見つめた方向が、「前」と思えばいい
■第二章 奪い合えば足りなくなるが、分け合えば余る
■第三章 大きな器も小さな器も、器にすぎない
■第四章 雑草を抜くなら、隣の花も抜きなさい
■第五章 善人を目ざすと悪人になる
◆著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)◆
ひろ/さちや
1936年大阪府生まれ。東京大学文学部印度哲学科卒業、同大学院博士課程修了。気象大学校教授となり、1985年に退職。仏教を中心とした宗教全般について平易な言葉でわかりやすく解説
【読んだ理由】
ひさしぶりのひろさちやさんの著書。
【印象に残った一行】
だから、いいことをして、何か報酬を期待するのではなく、いいことができるそのことを喜べがいいのです。悪いことをしたとき、その悪をしている自分を悲しむ。そして、次に悪いことをしやすくなっていますから、それに気づいて、同じ悪をしないようにする。それが仏教の教える「善因善果、悪因悪果」の法則です。
仏教では、正義という名の魔類を、ー阿修羅ーと呼びます。阿修羅というのは、本来は正義の神であったのですが、自分だけが正義だと思って、他人に対する思いやりがないため、神界から追放されて魔類になった存在です。
正しいことを言うとき、わたしたちはその阿修羅になっています。だから、正しいことは言わないほうがいいのです。
では、正しいことを言わずに私たちは何を言うべきでしょうか?
じつは、何も言わないほうがよいのです。正しいことを言うな、と言えばまちがったことを言え、と受け取られそうですが、それは勘違いです。わたくしたちは何もいう必要はありません。それよりも相手の話を聞いてあげるべきです。
失敗した人、悲しんでいる人たちに向かって、わたしたちは何かを言ってあげたい気持ちになります。しかし、人間の言葉にはトゲがあります。そのトゲでもって相手を傷つける危険が大きいのです。だから、何も言わずに、じっと相手の言葉を聞いてあげる。それが本当の慈悲だと思います。
仏教が教えているのは、わたしたちは、「良い・悪いの物差し「損得のものさし」のほかに、もう一つの---ほとけさまの物差し---を持てということです。
では、「ほとけさまの物差し」とはどういうものでしょうか?それは目盛のない物差しです。換言すれば、わたしたちが人生において遭遇するあらゆることを、---ありがたいこと---と受け取らせていただくのです。
【コメント】
人間の言葉にはトゲがあるを肝に銘じよう、そして阿修羅にならないように。