
【原文】
十一日。暁に船を出だして、室津を追ふ。人みなまだ寝たれば、海のありやうも見えず。ただ、月を見てぞ、西東をば知りける。かかるあひだに、みな夜あけて、手洗ひ、例のことどもして、昼になりぬ。
今し、羽根といふところに来ぬ。わかき童、このところの名を聞きて、「羽根といふところは、鳥の羽のやうにやある」といふ。まだ幼き童の言なれば、人々笑ふときに、ありける女童なむ、この歌をよめる。
まことにて名に聞くところ羽根ならば飛ぶがごとくにみやこへもがな
とぞいへる。
男も女も、いかでとく京へもがな、と思ふ心あれば、この歌よしとにはあらねど、げに、と思ひて、人々忘れず。
【現代語訳】
十一日。夜明前に船を出して、室津を目指す。 人は皆寝ているので、海の状態もわからない。ただ、月を見て西東の方向を判断したのである。こうしているうちにすっかり夜が明けて、みんなが手を洗い、いつものきまりごとどもをして、昼になってしまった。 今、羽根という所に来た。幼い子がこの地名を聞いて、「羽根という所は鳥の羽のようなところかな」と言う。まだ幼い子の言うことだからと、人々が笑っているときに、例の女の子がこんな歌を詠んだ。 まことにて… (本当にその名の通り、この「羽根」という土地が鳥の羽根ならば、その羽根で飛ぶように都にかえりたいものだ) と詠んだのだ。 男も女もなんとかして京へかえりたいと心に思っているものだから、この歌を上手な歌だとは思わないが、なるほどねえと思って皆が覚えている。 |
◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。