【原文】
この羽根といふところ問ふ童のついでにぞ、また、昔へ人を思ひ出でて、いづれの時にか忘るる。今日はまして、母の悲しがらるることは。下りし時の人の数足らねば、古歌に「数は足らでぞ帰るべらなる」といふことを思ひ出でて、人のよめる、
世の中に思ひやれども子を恋ふる思ひにまさる思ひなきかな
といひつつなむ。
十二日。雨降らず。
ふむとき、これもちが船の遅れたりし、奈良志津より室津に来ぬ。
十三日の暁に、いささかに雨降る。しばしありてやみぬ。
女これかれ、沐浴などせむとて、あたりのよろしきところに下りて行く。海を見やれば、
雲もみな波とぞ見ゆる海女もがないづれか海と問ひて知るべく
となむ歌よめる。
【現代語訳】
この羽根と言う所のことを問うた子のことから、(みんな)また、亡くなった子のことを思い出し、いつになったら忘れられよう。今日はまして、その子の母の悲しがられることといったらない。 京から下った人の数が足らないので、古歌に「数は足らでぞ帰るべらなる(人数は足りなくなって帰京するようだ)」というのを思い出して、ある人が(みんなに代わって詠んだ歌は、 世の中に… (いろいろと考えてみても、この世の中で子を恋しく思う親の思い以上に痛切な思いはないことだなあ) と言いながら嘆くのだった。 十二日。雨は降らない。 一行の中で、ふむとき、これもちの船が遅れていたのが、ようやく奈良志津(ならしづ)から室津に来た。 十三日の夜明け前に、すこしばかり雨が降ったがしばらくして止んだ。 女たちのだれかれが、水浴びでもしようということで、そのあたりの適当な場所に下りて行く。遠く海を眺めると、 雲もみな… (空行く雲もみな波のように見える。近くに海女でもいればなあ。どれが海なのかと、たづね知りたいので) こんな歌を詠んだことだ。 |
◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。