【原文】
これかれ、かしこく嘆く。男たちの心なぐさめに、漢詩に「日を望めば都遠し」などいふなる言(こと)のさまを聞きて、ある女(をむな)のよめる歌、
日をだにも天雲(あまぐも)近く見るものをみやこへと思ふ道のはるけさ
また、ある人のよめる、
吹く風の絶えぬ限りし立ち来れば波路(なみぢ)はいとどはるけかりけり
日一日(ひひとひ)、風やまず。爪(つま)はじきして寝(ね)ぬ。
二十八日。夜もすがら、雨やまず。今朝も。
【現代語訳】
誰もかれもやたらにため息をつく。男の人たちが気晴らしに、漢詩で「日を望めば、都遠し」(はるかなはずの太陽は見えるが、かえて近いはずの都は見えないから遠い)なんていってるらしい詩のあらましを聞いた挙句、ある女が詠んだ歌は、 日をだにも… (お日様でさえ、空の雲のすぐそこに見えるのに、一刻も早く帰りたい京への旅路の、ほんとに遠いことったら) また、ある人がよんだ。 吹く風の… (海を吹く風がやまぬかぎりはねえ、波も限りなく起こってくるものだから、船路はまだまだ先の遠いことですね) 一日中風が止まなかった。爪はじき(指の爪をはじいて悪いことを避けるおまじない)をして寝てしまった。 二十八日。一晩中雨が止まなかった。今朝もである |
◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。