日本男道記

ある日本男子の生き様

崇徳院

2008年04月11日 | 私の好きな落語
【まくら】
元々は上方落語の演目で、後に東京でも口演されるようになった。
若旦那と見知らぬ令嬢が恋わずらいとなり、百人一首の崇徳院の「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ」という歌をたよりに探しあてる。

【あらすじ】
恋患い。この病気から噺が始まる。
熊さんの出入りの大店の若旦那が病気になり、小さい時からの仲良しだから、熊さんだけに話をするというので、部屋に呼ばれて聞き出すと、上野の清水堂でお詣りを済ませ茶屋で休んでいると、お供を連れたお嬢さんに会った。
水も垂れるようなお嬢さんは茶袱紗を落としたので渡してあげると、木の枝に結んであった短冊がひらひらと舞い落ちてきた。
その短冊を渡してくれた。「瀬を早み岩にせかるる滝川の」と崇徳院作の上の句で、下の句は「われても末にあはむとぞ思ふ」という恋歌。
末には夫婦になりましょうと言う謎掛けの短冊をもらい、以来何を見てもそのお嬢さんに見える。
医者の見立てでは若旦那はあと5日の寿命だから、5日間の内に探し出してくれと頼まれる。
めでたく探し出したら、三軒長屋をあげるから頼むと言われ、腰にワラジを沢山くくりつけられ帰ってくる。
翌日から捜し始めるが、水が垂れるようなお嬢さんはいませんかと捜したのに、いっこうに見つからない。
奥さんに、「瀬を早み岩にせかるる滝川の」と崇徳院作の上の句を口に出しながら人のあつまる所を回りなさいと、知恵を付けられ、床屋に36軒、お湯屋に18軒回り、疲れた身体を床屋で「瀬を早み・・・」と言いながら休んでいると、近くの頭が四国に若旦那を探しに行くという。
大店のお嬢さんが恋患いで、その若旦那に上野で袱紗を拾ってもらい、別れ際に崇徳院様の歌の短冊を渡したが、どこのだれだか判らないと言う。
北海道はもう出発したと言う。
熊さんはそれを聞いて、「三軒長屋、三軒長屋・・、三軒長屋がここにいたか」、頭は「危なく四国に行くところだった」。
胸ぐらを掴みながら、家に来い、いや俺の所に先に来いと、争っていると、床屋の商売道具の鏡を割ってしまう。床屋の親方が「どうしてくれる、この鏡」、
「親方、心配はいらない。割れても末に買わんとぞ思う」。

出典:落語の舞台を歩く

【オチ・サゲ】
拍子落ち(調子づいた感じでとんとんと運び、切って落としたように下げるもの)と途端落ち(噺の脈絡がその一言で結びつく落ち)を兼ねている。

【噺の中の川柳・譬(たとえ)】
『夏痩せと答えて後は涙かな』
『信あれば徳あり』

【語句豆辞典】
【仁王様の申し子】仏閣の山門の左右に仁王像が安置してある場合は特に仁王門と呼ぶ。口の開いている像を阿(あ)といい結んでいるほうを吽(うん)と称え、両方で阿吽の像となる。虚弱の者は草履を供えて願を架けると丈夫になると伝えられ、どこの仁王にも草履がぶら下がっている。申し子とは、神仏に願を掛けて生まれた子供のこと。

【この噺を得意とした落語家】
・三代目 桂三木助
・三代目 古今亭志ん朝
・三代目 桂枝雀

【落語豆知識】
【顔付け】ひとつの興行の出演者と出番を決めること。
 




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