日本男道記

ある日本男子の生き様

徒然草 第百三十五段

2022年01月18日 | 徒然草を読む


【原文】 
資季大納言入道とかや聞えける人、具氏宰相中将にあひて、「わぬしの問はれんほどのこと、何事なりとも答へ申さざらんや」と言はれければ、具氏、「いかゞ侍らん」と申されけるを、「さらば、あらがひ給へ」と言はれて、「はかばかしき事は、片端も学び知り侍らねば、尋ね申すまでもなし。何となきそゞろごとの中に、おぼつかなき事をこそ問ひ奉らめ」と申されけり。「まして、こゝもとの浅き事は、何事なりとも明め申さん」と言はれければ、近習の人々、女房なども、「興あるあらがひなり。同じくは、御前にて争はるべし。負けたらん人は、供御をまうけらるべし」と定めて、御前にて召めし合あはせられたりけるに、具氏、「幼くより聞き習ひ侍れど、その心知らぬこと侍り。『むまのきつりやう、きつにのをか、なかくぼれいり、くれんどう』と申す事は、如何いかなる心にか侍らん。承らん」と申されけるに、大納言入道、はたと詰りて、「これはそゞろごとなれば、言ふにも足たらず」と言はれけるを、「本より深き道は知り侍らず。そゞろごとを尋ね奉らんと定め申しつ」と申されければ、大納言入道、負になりて、所課いかめしくせられたりけるとぞ。

【現代語訳】  
藤原資季大納言と申し上げた人が、源具氏中将に向かって、「お前が質問してくる程度のことだったら、何だって答えてやろう」と言った。中将は「さあ、どうでしょう」と答えた。「ならば質問してみろ」と言われて、中将は、「難しいことは少しも勉強していないので質問する術を知らないのです。ですから、日常生活の中で疑問を感じる、どうでもよいことを質問します」と答えた。大納言は「なんだ、ここいらのどうでもいい疑問であれば、どんな事でも華麗に解き明かして進ぜよう」と胸を張った。周囲にいた天皇の取り巻きや、女官達が「面白そうな勝負だ。帝の御前で夕飯を賭けよう」と勝手に決めて、天覧試合となった。中将が「子供の頃から聞き慣れたことで、意味が分からないことがあります。『ムマノキツリヤウ、キツニノヲカ、ナカクボレイリ、クレンドウ』と言ったりするのは、どういう意味があるのでしょうか? 教えて下さい」と質問した。大納言は「うんうん、ばりばり」と気張りながら、「こんなどうでもよい質問に答えても仕方がない」と誤魔化したので、中将は「最初から難しいことは知らないので、どうでもよい質問をしますと断りました」と言った。大納言の負けになり、豪華な食事をご馳走する羽目になった。

◆鎌倉末期の随筆。吉田兼好著。上下2巻,244段からなる。1317年(文保1)から1331年(元弘1)の間に成立したか。その間,幾つかのまとまった段が少しずつ執筆され,それが編集されて現在見るような形態になったと考えられる。それらを通じて一貫した筋はなく,連歌的ともいうべき配列方法がとられている。形式は《枕草子》を模倣しているが,内容は,作者の見聞談,感想,実用知識,有職の心得など多彩であり,仏教の厭世思想を根底にもち,人生論的色彩を濃くしている。

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