脚は完全に痛みだらけになった。
きつさに負けて、ついに歩くことも多くなってきた。
うつむいて下を向いて歩いていると、急に幼い子の声がした。
「アルビ、がんばれ~!!」
今回も「アイシテルニイガタ」のアルビユニを着ている私を見て、声援を送ってくれたのだ。
顔を上げて、その子に思わず手を振った。
なんてうれしい声援だろう。
こんな、走れなくなっているみじめな自分に、声をかけて応援してくれるなんて。
そのありがたさに、このジイさんの目から涙がこぼれた。
無理をしてでも走っている姿を見せたい、そう思って、脚が痛いけど走って進んでいった。
そのツケは、すぐに来た。
200,300mくらい走っただけなのに、前よりも太ももの外側から腰にかけての痛みが強くなってしまい、走るのを止めて歩くしかなくなってしまった。
32kmポイントの第9エイドを過ぎる。
すると、分水の水の上を気持ちよさそうに上流に向かって進む、屋形船に近い形の遊覧船が見えた。
気持ちよさそうだなあ、…と思いつつ、向こう岸には先を行く速いランナーたちが走っているのも目に入った。
33㎞、完全に歩くことが中心になってきた。
当然ながら、なかなか進まない。
この土手道はなんて長いんだ!と思う。
いよいよ「遠足」が本格化してきた。
でも、お楽しみは、第10エイド。
ここの給食には、去年食べたアイスの「もも太郎」が置いてあるはずだ。
楽しみ、楽しみ~…と思って近づいていくと、
…ない!ない!!もも太郎がない!!!
ガ~ン!品切れですか!!?
仕方ない、ご飯でがまん。
楽しみにしていたのになあ…。
名残惜しく通り過ぎた。
土手道はまだ続く。
下の道には、35kmを折り返した人たちが走っていた。
あの「ティンカーベルさん」も見えたから、声をかけた。
「相変わらず元気だねェ~!」
「ありがとうございま~す!がんばりましょー!!」
と、彼女は笑って手を振り走っていた。
すばらしいね。
35kmの折り返しは遠かった。
時々、勢いよく走って私を抜いて行く人がいる。
元気だなあ、どうぞ先に行っておくれ。
目の前のランナーには、走っては歩き、を繰り返す人がいる。
同じことを、自分も繰り返す。
みんな、同じなんだなあ。
脚が痛くて、走れる体じゃなくなっているんだよ。
痛みに耐えながら、歩く、走るになっている。
「マラソン大会」は、「遠足」を通り越して「我慢大会」になっていた。
ようやく35kmを折返し、下の道に出た。
私同様に、歩き中心時々走りの人が多い。
走ると50歩ほどで脚が痛くて、走り続けられない。
歩きながら、時折眠くなった。
まだあと7kmも歩くのか。
…これこれ違うだろ、走るのか、だろ?
がんばれ、がんばれ、我慢大会。いや、マラソン大会!
36.5kmで、第11エイドがある。
先ほどの第10エイドと兼ねているのだけど、やっぱりもも太郎はなかった。
内臓も疲れて、ぐちゃぐちゃになってきた感じ。
食べ物もスポーツドリンクも、気持ち悪いような気がして、水だけ流し込んだ。
道は、国道116号の平成大橋に上る。
この橋上で、少しうれしい表示発見。
あと5km。カウントダウンを感じるものの、まだ5kmもある、ということも事実。
再び土手道に出て、前に進む。
関屋分水の雄大さを感じる。
残り4kmを切ったところで、急にまた名前で呼び止められた。
後方から汗をかきながらも笑顔で近づいた彼は、30代男子。
7年前、同じ職場にいた若者だった。
近年走り始め、去年も出場していたのだという。
まだ走れている彼の足取りはまだ動いていて元気だった。
できれば後をついていきたかったが、固まった脚は、100mほどしかもたず、追いかけるのは断念した。
38.9kmの第12エイド。
給食はここが最後。
今は気持ちが悪いので食べられないが、後でいただこうと、2つ3つお菓子をとって、ポケットにしまい込んだ。
すぐに関屋分水と信濃川を分ける本川大橋があり、その橋上に市橋有里さんが応援してくれていた。
ここで万代橋以来2度目のタッチ!
残りは3kmしかない、とも思う。
ところがここからわずか3kmが途方も長く感じるものなのだ。
40km地点でも、さまようゾンビたちと少しでも走って早くゴールに着こうとするランナーの姿が交錯する。
右側の信濃川沿いのやすらぎ堤には、柳の木がずうっと植えられている。
さすが、柳都新潟。
その柳の木のそばを幽霊ではなく、ゾンビたちが歩く。
私も、しっかり “ONE of the ZOMBIES”
最後のエイド、第13エイドは、スポドリと水だけ。
スポドリを入れる紙コップがなくなったのか、コカ・コーラの赤い紙コップだった。
コーラだったら、いいなあ。
今はスポドリ飲み過ぎて気持ち悪い。
コーラを飲んで、げっぷして、気持ちよくなりたい~!!
41km。
この表示で元気を出す人も多いけど、走っては見てもすぐに歩きに戻る人も多い。
「あと1kmですよ~。」と励ましてくれる係員の方の声も弱々しい。
それは、ランナーたちの走れなくなって歩いている姿と、疲れ切った表情から、元気な声をかけられなくなっていたからだ。
そんな時、後ろから走ってきて横に並んだ人が話しかけてきた。
あの、26km付近で置いて行った(?)、Nさんだ。
「いや~、あと1kmだと思うと、元気が出ましたよ。」
と言いながら、駆けていく。
その足取りは元気そのもの。
なんだ~。一度抜いた人に逆転されるのは悔しいぞ~。
と思って、抜かれた後、少し追いかけて走ったが、やっぱり余力はない。
両脚の痛みからひたすら歩いては走りを繰り返すしかないので、Nさんが遠ざかるのを見るしかなかった。
過去のレースでは、Nさんより遅くなったことがなかったので、無念でもあった。
でもね、完璧に練習不足の今回の目標は、完走なのだよ。
誰に勝った、負けたではなく、最後はスタジアム内のトラック、ラスト100mを走ってゴールするのだ。
そして、ついに、新潟市陸上競技場に到着。
入ると、すぐそこに、さっき本川大橋で会った市橋有里さんがいた。
どうやって近回りしてきたのかな?
まあ、いいや。
「今日は、3回も会えました。応援ありがとうございました!」
とお礼を言って、3回目のハイタッチ。
残り100m。トラックを駆け、今年もゴール付近で声援を送る日本文理高のチアの皆さんに「ありがとう」を言いながら、フィニッシュゲートを駆け抜けた。
参加賞となる大きなタオルをかけてもらいながら、自分の時計を見ると、5時間37分50秒を示していた。
去年より10分遅くなったけど、「6時間完走大作戦」は、かなったことになる。
そのことを喜ぶことにしよう。
猛暑で8月のRUN練習日ゼロ。
9月も猛暑が続き、事前には13kmを2度走った程度の準備。
おまけに、2週間前から襲われた腰痛。
そんな準備不足にもかかわらず、去年や今までの経験をもとにして6時間完走を目指した大会だった。
完走した中で、自己ワーストの記録だったので悔しい思いもあるが、今の自分としてはこれが精一杯。
マラソン大会と遠足と我慢大会の3つを終えた気分。
よくがんばりました。
「お疲れさま」 to myself 。
(なんちゃってランナーである私の、長~いマラソン奮闘記をゴールまで読んでくださった方々、ありがとうございました。)