ひさしぶりでしたがやはりこの像はデカイ。三人は鉄人28号の靴の部分に何度もよじ登る遊びに熱中しました。
鉄人テラスから見ると地上では見られないアングルで28号と対面できます。
砂場で1時間以上遊びました。
鉄人28号の作者の横山光輝さんは神戸市の出身です。実物はさすがに迫力があります。2011年4月に行ったときに
撮影した動画です。
朝は地区の氏神さんの弓弦羽(ゆずるは)神社にお参りしました。フィギュアの羽生結弦選手の参拝で最近は有名になったそうです。
お参りした後は境内を通り「香雪美術館」の門前を過ぎて、住吉の「室の内交差点」にある「神戸屋レストラン」へ行きました。
このあたりは昭和33年の夏に四日市市から引っ越して神戸に住んだ最初の家があったところで、4年間の懐かしい記憶がある場所です。
大人はスペシャルブランチ1080円。飲み物お代わり自由。お得感いっぱいです。
子供はパンケーキブランチ飲み物付き。
レストランを出てから交差点をまっすぐ有馬道商店街をおりてJR住吉駅から新長田駅へ。
帰りはJR新長田駅からJR六甲道駅で下車して、居酒屋「駅前」で昼食を食べてから帰りました。私は海鮮丼780円。
「弓弦羽神社」への八基のだんじりの宮入は5月4日ですが、今日の午前中に神社の足元の郡家地区のだんじりの見学会があったそうです。
地元の小学校2校の2年生に招待がかかり、出かけていきました。たまたま神前結婚式もあったそうです。
灘区の大石にあるホームセンター「コーナン」からJR六甲道まで歩いても10分と知ったので初めて歩いてみました。
すると途中にハッカの香りが道を流れているところがありました。そこにあるビルの名前を見て驚きました。
つい最近会社のルーツが鈴木商店と知った鈴木薄荷株式会社だったのです。これはシンクロニシティ現象でしょう。
建物についている銘板を見ると登録有形文化財・文化庁とありますから昭和2年の建築のビルのようです。
その道を六甲道の方に歩くとアメリカ花水木の並木がありました。
六甲道駅前の公園では沢山の子供が遊んでいました。
涼感と虫除け 鈴木薄荷のハッカ製品が人気 ルーツは幻の巨大商社 神戸新聞 2014/6/28 13:2
蒸し暑さが日に日に増す中、鈴木薄荷(神戸市灘区下河原通1)のハッカ製品が人気を集めている。同社の前身は明治から昭和にかけ世界的な総合商社だった鈴木商店。商標として唯一受け継いだ「かね辰」マーク入りの製品も限定発売され、昔ながらの爽やかな涼感が見直されている。(山崎 竜)
同社の創業は1927(昭和2)年。同商店の倒産を受け、ハッカ事業を引き継ぎ誕生した。インド産のハッカを輸入し、湿布薬、たばこ、歯磨き粉、ガムなどの原材料を精製している。基本的に企業と取引しているため、一般の消費者が目にすることはなかったが、昨年8月から摩耶ロープウェー「星の駅」の観光施設「摩耶ビューテラス702」に摩耶山のロゴ入りビンに詰めたハッカ油を置いた。さらに今年5月、同市灘区の王子公園で開かれた「六甲ファミリーまつり」で初めて屋号入りの油と結晶のセットを販売したところ、用意していた200個が1日で完売し、その後も問い合わせが多数寄せられた。「地元の人に、何をしてる会社なのか知ってほしくて作ったのですが、反響の大きさに驚いています」と同社営業部。その後の販売予定は決めていなかったが、反響を受ける形で6月初旬から「摩耶ビューテラス」で、復刻ラベルを貼った油と結晶のセット(600円)を9月いっぱいの予定で売り出した。浴槽に入れると風呂上がりに涼しく、油は水やアルコールで薄めて体にスプレーすると「体感温度が下がる」「ブヨなどの虫が寄ってこない」などの評判という。「摩耶ビューテラス702」TEL078・882・3580
◇
【鈴木商店】1874(明治7)年、砂糖の貿易商「神戸辰巳屋・かね辰・鈴木商店」として神戸で発足。事業を拡大し、1917年に売り上げで日本一の商社となった。18年に米騒動のあおりで神戸の本店が焼き打ちに遭い、第1次大戦後の不況、関東大震災などの影響で破綻・解体した。同商店をルーツとする企業は神戸製鋼、帝人、サッポロビール、昭和シェル石油、双日など多数に上る。総合商社に発展させた女主人・鈴木よねは、玉岡かおるの小説「お家さん」のモデル。
なぜか月一回のこの昼食会の日は雨模様の日が多いです。学校で習ってきた江戸時代は何となく暗いイメージがあるが、実は近代社会や経済の黎明期であることを、
世界各国や地域や時代の人口とGDP,また一人当たりのGDPの数値データで説明がありました。世界各国の数値の比較や時代時代の比較は興味をひかれました。
また鎖国の原因がキリスト教の広がりを止めるためというよりも、中国の「華夷秩序」における冊封関係からの脱却という見方は新鮮で、世界史の観点からすると肯けると思いました。
そのほかにも、日本の東と西の人口の変動の話も面白く、現在は日本の東に人が移動している時期だが、それはまた変わる可能性もあるとか。トップの画像は昼食会の会場の「楠公会館。」
パワーポイントで見せていただいた浪速の長者番付には、加野屋のモデルになった加島屋が横綱を張っていました。
楠公会館は湊川神社の垣内にあります。神社は雨の日でも参詣者は絶えません。
三ノ宮の勤労会館に行きました。講演の前に、 明日の自由を守る若手弁護士の会兵庫支部/SEALDs KANSAI
/安保関連法制に反対するママと有志の会@兵庫のスピーチもありました。300人ほどの元気な老年の男女と少数の若手が熱心に小林ぶしに耳を傾けました。
当日の講演と対談の動画はこちら。
新駅がオープンした翌日、横尾忠則展を観て、水道筋商店街からまっすぐ降りた場所にある「摩耶駅」から電車に乗りました。
住宅地の中に突然、鉄道の駅が出来たという風情の街並みになんかおかしみを感じました。
駅まで歩く途中にこんなオブジェがありました。初めて歩く道ですがなかなか面白い。
改札は2階にあります。山側の風景。
三ノ宮方面、隣の駅は灘駅です。
プラットホームで
電車の運転席の横から
隣の駅は見えている感じで、すぐに下車する六甲道駅に着きました。
食事のあと90人の参加者が講演を聞きました。
終わってから、高速神戸駅から地下街を散歩して、新開地駅まで歩きました。上へあがると新開地本通りです。
向こうに見えるラウンドワンは元は映画館の「聚楽館」があった場所です。聚楽館は新開地が「東の浅草、西の新開地」と言われて神戸一の繁華街だった頃、
芸者置屋の息子だった映画評論家の淀川長治さんが幼児の時から親に連れられて毎日通ったと言われています。
聖なる湊川神社から俗なる立ち飲み店「世界長」(クリック)への移動もまた楽しい。
⇒ ○○海運 関係各位殿
謹啓
三寒四温のこの頃、皆様におかれましては
お変わりなくお過ごしのことと思います。
今年も大変遅くなりましたが、○○海運恒例の「酒蔵見学会」を催す運びとなりました。
茨木酒造様のご協力により、下記のごとく開催いたしますので、皆様お誘い合わせの上
多数のご参加のほどお願いいたします。
1. 開催日時 : 平成28年3月5日(土) 午前10時~12時ころ
2. 会場 : 茨木酒造合名会社
明石市魚住西岡 1377 Tel. 078-946-0061
3. 集合場所 : 山陽電鉄 魚住駅改札口付近
(午前9時45分頃までに集合ください)
早速参加の返信をしました。この催しには2012年(その1、その2)と2014年にも参加しています。
社長の奥さんのお話では息子さんの4年目の挑戦でこの全国版の大会で栄えある賞を取られたそうです。
さすがにこの酒は別格の旨さでした。
2014年の画像アルバム。▽をクリックするとスタート。全26枚。
2016.02.28 ~ 2016.03.05
閲覧記事数:15820 PV、訪問者数: 2096 IP 、ランキング:2454 位 / 2421721ブログ
慌てて3日前にメールで申し込んで、当日受付OKと返信をもらったので、フェリシモ主催の「神戸学校」のクラス?に出た。 会場はいつも神戸朝日会館の朝日ホールだ。 神戸学校はこれまでも嘉門達夫や茂木健一郎などの回に受講している。 阪急三宮駅西口からセンター街を横切って、旧居留地方面に歩くと地下に映画館「シネリーブル神戸」がある朝日会館がある。
お話の題は「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」
関野さんのことはNHKTVの「達人達」という番組で、山極寿一さん(人類学者、霊長類学者にして、ゴリラ研究の第一人者)と対峙した内容が面白くて知った。 お話を伺って、脳のあちこちを揺らされた。フェリシモから案内書が来ていたのに申し込みを忘れていたが、ネットで問い合わせて本当に良かった。関野さんは、10年もの歳月をかけ、人類発祥の地アフリカへ南米の南端から逆回りで祖先の拡散の足取りを辿る旅、グレートジャーニーをした人だ。
- (それぞれのサイトをクリックすると、今回の講演会の内容を体験できます。)時間感覚の違いは読んでいくとわかるでしょう。
関野吉晴さんの「グレートジャーニー」のルート
自分が移動してわかったが、人類のグレートジャーニーは旅のジャーニーではなく移民の移動の事だと言う。 20万年前にアフリカで現在のホモサピエンスになった現生人類が6万年前にアフリカを出て日本列島にたどり着く壮大な旅路。 なぜ人類はアフリカから出て、太平洋諸島、南米、日本まで移動したのか? 関野さんは最初は、好奇心に溢れ進取の気性に富んだ勇敢な人たちが次々新天地を目指したと思っていたが、各地を探検、旅を続けるうちに 次のように思うようになったそうだ。「その土地土地で人口が増加し、弱者に食料がまわらなくなりやむなく、別の地に移動していったのが 人類のジャーニーの歴史だ」。日本でも長男は土地に残れるが、次男以下は部屋住みか他国へ出て食っていくしかない。 それは日本人のハワイやアメリカ本土、ブラジルなど南米移民、そして現代の中東の難民にも表れていると。 本や対談記事でも関野さんの体験談は伺えるが、前から3列目の席でお話を聞いて、その静かな語り口の中に一人の人間のやれることに限りはないことを あらためて感じた。
最初目指した神戸ワインのパイロットショップは5時からしかワインは飲めないとのことで、センタープラザ地下の「蕎麦鳴門」へ。
蕎麦屋で一杯ならぬ蕎麦湯割り焼酎を3杯飲んでから南京町の春節祭の行事を見てJR元町駅そばのイタリアンの店でワインを。
次に鯉川筋を上がって立ち飲みの「酒商 熊澤」で日本酒。昼酒は結構効きます。
センター街のジュンク堂前で待ち合せました。
神戸ワインの3か月間のパイロットショップ。
南京町はほんまもんの南京人も春節で来ているらしく、中国語も聞こえてきました。
天才落語家・桂枝雀は昭和14年に中郷町で生まれ育ったが戦争が激しくなると父の実家がある鳥取県倉吉市に疎開した。昭和5年生まれの野坂が六年間通った成徳小学校に入学する前だった。
中郷町は米軍の神戸大空襲で完膚なきまでに破壊され、野坂の養父は焼夷弾の直撃を受け死体はついに見つからなかった。
アメリカ空軍は訓練どおり念入りに絨毯爆撃で住宅地に焼夷弾を落としため、中郷町とその周辺は完全に破壊され、張満谷家の家のありかも特定できないほどだ。
そして中郷町は1995年の大震災で再び壊滅し今はマンションが立ち並ぶ新しい町になっている。「火垂るの墓を歩く会」(クリック)
楠公会館で今年第一回の昼食会に参加した。この日卓話は新春講話を連続21回されている1925年生まれの新野幸次郎先生だった。
R.Bライシュの「超資本主義(暴走する資本主義」を基に語られた。一言で言えば社長や役員が年収3億円や5億円、アメリカでは10億円や20億円も取って
平然としているような資本主義はどうなのかと。明治以降の日本の経済運営システムではそんなことはありえなかったと。
「実語教」という江戸時代の寺子屋で日本の庶民が200年以上学んだ手本の現代語訳の紹介をされながら、教育の重要性に日本人が今一度気づかないといけないと言われた。
いまの状況の中でITの影響も大きいといくつか例をひかれた。また中国の影響力はこれから良くも悪くも大きくなっていく、中国をイデオロギーの色眼鏡で見るのではなく、
ありのままの目で見ていくことが重要。その中で津上俊哉氏の「巨龍の苦闘 中国、GDP世界一位の幻想 (角川新書)」などは参考になる本だと。
印象に残ったのは我々はいま討論や討議だけでおわるのではなく、お互いに対話することをもっとやろうと言われたことだ。違う意見の人とも反対意見を持つ人とも対話しようと。
そして、お互いにどんな日本にしたいのかについてもっと対話していこうと言われた。
最近はうまくやるにはどうしたらいいかとか、上手に立ち回るにはどうしたらよいか的なことの話がメディアやネットや人の話に多いが、日本人の志を語る方のお話をひさしぶりに伺った。
今年91歳になられるであろう碩学は、一時間の間まっすぐ背筋を伸ばし、腹の底から出す力のこもった声でひたと会場の130人を眼光鋭く見据えてお話をされた。
会場を出てからのショット。