阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

吉良邸跡と勝海舟の生地  両国ぶらぶら①

2007年10月09日 | 東京あちこち
両国は隅田川を隔てて蔵前と向かいあっています。昔、隅田川が下総国葛飾郡と武蔵の国を分けていたそうで、葛飾北斎の画名はこの旧い郡の名前から取られたそうです。JR両国駅から半径1000mもないうちに、大正12年(1923年)の関東大震災で壊滅した江戸と明治時代をを忍ぶ案内が多く残されていました。
これは勝海舟の生地跡(旧本所亀沢町)で、今は公園になっていました。
勝の家は御家人ですが、曽祖父は越後から江戸に上がった盲人で、金貸しで財産をつくり祖父が旗本の男谷家の株を買って武士になりました。勝海舟が晩年語った話の聞き書きである「氷川清話」はべらんめい口調の当時の江戸言葉が採録されており、幕末維新を生き抜いた優れた日本人の一人を知る事ができます。


ここは赤穂義士に討ち入られた吉良邸の跡ですが、7月に知多半島を旅行したときに、吉良家の知行地である吉良町を通ったので、偶然ながら一年の内に上野介ゆかりの場所を2箇所訪れることになりました。吉良邸は今の行政区では両国にありますが、江戸時代ここは本所松坂町でした。


元々相撲の興行はこの回向院の境内でされていたそうで、その跡に有名な力士たちが寄進した力塚がありました。




両国駅から回向院に向かう大通りには、土俵入りの横綱の彫像がいくつも置かれています。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする