今の「両国」がある地は、武蔵の国である江戸からすれば、隅田川の向うの往時の下総の国、葛飾の郡になりますが、北斎の時代には大江戸都市圏に属して、本所と呼ばれた土地です。
江戸の市中にあった吉良上野介の屋敷が、仇討ちの噂で不穏なりとは言われずとも、幕閣から当地に移転を命じられたのは、当時は江戸郊外の認識があったのでしょう。そういう意味では襲撃を予想していた吉良さんも、首を切らさんように、厳重な警護の構えを敷いていたようですが、周到な準備を重ねた大石テロ部隊に寝込みを襲われました。
両国を歩くとこんな石標をあちこちで見る事ができます。
上は伊豆韮山で日本で初めて大砲を作った江川さん。
こちらは初代三遊亭円朝サンの住居跡。
この場所で歌舞伎狂言作者の河竹黙阿弥サンが息を引取られた。
確か演劇評論家の河竹登志夫はこの河竹黙阿弥の直系の係累(曾孫?)だと思います。
お菓子屋の「国技堂」は“揚げあんこおかき”だけで長年店を張っています。
食べてみましたが、また寄ってみようとまでは?
江戸の市中にあった吉良上野介の屋敷が、仇討ちの噂で不穏なりとは言われずとも、幕閣から当地に移転を命じられたのは、当時は江戸郊外の認識があったのでしょう。そういう意味では襲撃を予想していた吉良さんも、首を切らさんように、厳重な警護の構えを敷いていたようですが、周到な準備を重ねた大石テロ部隊に寝込みを襲われました。
両国を歩くとこんな石標をあちこちで見る事ができます。
上は伊豆韮山で日本で初めて大砲を作った江川さん。
こちらは初代三遊亭円朝サンの住居跡。
この場所で歌舞伎狂言作者の河竹黙阿弥サンが息を引取られた。
確か演劇評論家の河竹登志夫はこの河竹黙阿弥の直系の係累(曾孫?)だと思います。
お菓子屋の「国技堂」は“揚げあんこおかき”だけで長年店を張っています。
食べてみましたが、また寄ってみようとまでは?