四日市市の高砂町、稲場町は築港によって出来た町名です。私が通った納屋小学校の校区です。四日市港は「稲葉三右衛門」の尽力で明治時代の初期に近代港の礎を作りました。(伊勢国(三重県)四日市町で廻船問屋を経営していた。1873年(明治6年)~1884年(明治17年)にかけて四日市港(旧港)の修築に着手して、(稲葉町・高砂町)の埋め立て工事をしたが港湾の埋め立て工事は資金面や反対の声で困難となりたびたび工事が中断した。三右衛門の私財を投資して1884年(明治17年)に完成した。四日市市の近代化を推進して、四日市繁栄の基礎を築いた。)

いまや港はこの千歳地区から塩浜地区、霞ヶ浦地区などに大きく拡大され、近代港になっています。四日市港。


遠くに知多半島が見え、天気が良ければ中部空港の飛行機の発着も見えるそうです。

◎スライドで12枚の画像をどうぞ。

いまや港はこの千歳地区から塩浜地区、霞ヶ浦地区などに大きく拡大され、近代港になっています。四日市港。


遠くに知多半島が見え、天気が良ければ中部空港の飛行機の発着も見えるそうです。

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