御茶ノ水駅でMさんと別れ、ぶらぶらと神田駅まで歩きました。
いつもの癖で神保町にちょっと寄り道しました。吉田茂元首相の子息である英文学者・吉田健一がよくビールを飲んだ
【ランチョン】は健在でした。
スズラン通りは戦前からの中華料理店が姿を消したり、かなり店が変わったような気がしますが、雰囲気はゆったりしています。
岡山県井原市出身の内山完造が上海で開業した「内山書店」に縁がある中国関係専門書店の「内山書店」もこの通りにあります。
戦前の中国で35年暮らした内山完造の自伝『花甲録』は読み応えのある本でした。
途中少し酔いを醒ますことにして、コーヒーを飲みながら一時間ほどゆっくりしました。そのあと、毎年 新年会の会場になる中華料理店『東園』に定刻の6時前に入りました。
1年ぶりに懐かしい顔ぶれにまた会うことが出来ました。大阪の肥後橋と神田美土代町や中央区新川などにあった事務所で共に仕事をしていたこの仲間は、初めから入社年度の差や役職の上下関係を誰も意識することなく「ひたすら協業する」というエンジニア&営業の一体集団でした。入社年度が一番古いHさんのお人柄の所以でしょう。
身体に気を付けて、恒例になったこの新年会や船橋社中の新年会に、来年も必ず参加したいものだと強く思いました。
いつもの癖で神保町にちょっと寄り道しました。吉田茂元首相の子息である英文学者・吉田健一がよくビールを飲んだ
【ランチョン】は健在でした。
スズラン通りは戦前からの中華料理店が姿を消したり、かなり店が変わったような気がしますが、雰囲気はゆったりしています。
岡山県井原市出身の内山完造が上海で開業した「内山書店」に縁がある中国関係専門書店の「内山書店」もこの通りにあります。
戦前の中国で35年暮らした内山完造の自伝『花甲録』は読み応えのある本でした。
途中少し酔いを醒ますことにして、コーヒーを飲みながら一時間ほどゆっくりしました。そのあと、毎年 新年会の会場になる中華料理店『東園』に定刻の6時前に入りました。
1年ぶりに懐かしい顔ぶれにまた会うことが出来ました。大阪の肥後橋と神田美土代町や中央区新川などにあった事務所で共に仕事をしていたこの仲間は、初めから入社年度の差や役職の上下関係を誰も意識することなく「ひたすら協業する」というエンジニア&営業の一体集団でした。入社年度が一番古いHさんのお人柄の所以でしょう。
身体に気を付けて、恒例になったこの新年会や船橋社中の新年会に、来年も必ず参加したいものだと強く思いました。