阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

師走の湊川神社 初もうでの準備完了のようです。

2015年12月13日 | 神戸あちこち
12月某日、2か月ぶりに湊川神社の楠公会館の午餐会に参加しました。冬空の下、神域には清々しい気配が漂っていました。









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仏カレーのシリア人難民キャンプの壁にスティーブ・ジョブスの姿が描かれている。

2015年12月13日 | SNS・既存メディアからの引用記事
シリア難民キャンプに『難民スティーブ・ジョブズ』出現。著名グラフィティ作家 Banksy が描く。こちら

スティーブ・ジョブスの父親はシリア人でアメリカに留学した。
Wikipedia から部分引用。
ジョブズは1955年2月24日、シリアからの留学生で政治学を専攻する大学院生アブドゥルファター・ジャンダリ[6]とアメリカ人の大学院生ジョアン・シーブルとの間に生まれる。ジョアンの父が、ムスリムのシリア人であるアブドゥルファターとジョアンとの結婚を認めなかったため[7]、誕生以前から、養子に出すことに決められていた。結果、ジョブズはポール・ジョブズ、クララ・ジョブズ夫妻に引き取られることになった。ジョブズが2005年6月12日のスタンフォード大学の卒業講演で語ったところによると[8]、母であるジョアンはジョブズ夫妻が大学卒でないことを知り養子縁組を躊躇していたが、ジョブズ夫妻がジョブズを大学に進学させることを約束したために養子縁組が成立したという。

余談であるが、実の両親は後に正式に結婚して女の子をもうけ、それから離婚している。スティーブが生母と再会するのは、ジョブズが30歳を過ぎて、養母であるクララが亡くなった1986年である。ジョブズはその時に初めて自分に血を分けた妹モナ・シンプソン(en:Mona Simpson)がいることを知り、モナとも初対面を果たした。一方、なぜか実の父とは死ぬまで一度も会おうとはしなかった。父親のアブドゥルファターも、息子の成功に便乗していると思われるのを恐れ、親しい友人にも、ジョブズの事について語ることはほとんど無かったという[9]。ちなみに、養父母はジョブズの後に女の子の養子を迎えているため、ジョブズには一緒に育った血の繋がっていない妹パティ・ジョブズもいる。
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