阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

ニッカウヰスキー 私が愛するトリオ。

2017年05月19日 | 食べる飲む

入社した会社の愛媛県の工場に配属されて会社の寮で2年半暮らした。寮に入る一年前にニッカから「ブラックニッカ」が発売された。

 寮の部屋に人が来るとコーヒーをいれる派とこの「ブラックニッカ」か、同じく当時サントリーから売りだされた「サントリーレッド」を出す派があった。

私は虎の子の「ブラックニッカ」をショットグラスで出した。それ以来、ニッカさんの一般向けラベルは私の愛好品として50年ほどの付き合いになる。

今回メーカーからのメールマガジンでセット販売の案内が来たので我が家の大蔵大臣の許可を得て、無事購入の運びとなり、今日の宅急便で届いた。嬉しい。

引用⇒それから徐々にウイスキーの生産が軌道に乗ったニッカ社は1959年、兵庫県に西宮工場を設立する。その3年後には同工場内にカフェ式蒸溜機が設置された。
そして1965年にカフェグレーンをブレンドした初の商品「新ブラックニッカ(一級)」誕生。このとき、ウイスキーの級別制度は1962年の制度改定によって特級(原酒混和率20%以上)、一級(同10%以上)、二級(同10%未満)と変更されていた。
「美味しいものを良心的な価格で、より多くの人に飲んでもらいたい」という竹鶴氏の想いから、一級の上限ギリギリまでモルト原酒を加え、カフェグレーンとのブレンドによって、新しい「ブラックニッカ」がつくり上げられたのである。

ラベルに描かれているのは「ブレンドの王様(キング・オブ・ブレンダーズ)」と呼ばれた英国人 W・P・ローリー氏。竹鶴氏はウイスキーづくりの理想像としてこのローリー氏をラベルに配したが、同じようにヒゲをたくわえていたため、よく「このラベルはあなたがモデルですか?」と尋ねられたそうだ。
その都度竹鶴氏は「わしは自分の顔をラベルに使うほど厚かましくないぞ。それにヒゲの男は目が青いじゃないか。わしの目のどこが青いんじゃ?」と冗談めかして答えていたという。しかし竹鶴氏もローリー氏と同じく、ブレンドの名匠であったことは、誰もが認めることだろう。引用ここまで。

 楽屋ネタ。幼稚園の年少組へ通う。

 

コメント (2)
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砂漠に水を張ったバケツを置いて底のカメラで写してみたら・・・。

2017年05月19日 | びっくり画像・映像
水に落ちた蜂は掬って助けたそうです。
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5月18日に松尾貴史の頭をよぎった「ことわざ」の数々

2017年05月19日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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